後七、八時を過ぎるとほとんど人通りがない。わたしは重い雨傘をかたむけて、有楽町から日比谷見附を過ぎて堀端へ来かかると、俄《にわ》かにうしろから足音が聞えた。足駄《あしだ》の音ではなく、草履《ぞうり》か草鞋《わらじ》であるらしい。その頃は草鞋もめずらしくないので、わたしも別に気に留めなかったが、それが余りに私のうしろに接近して来るので、わたしは何ごころなく振り返ると、直ぐうしろから一人の女があるいて来る。
傘を傾けているので、女の顔は見えないが、白地に桔梗《ききょう》を染め出した中形《ちゅうがた》の単衣《ひとえもの》を着ているのが暗いなかにもはっきりと見えたので、私は実にぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。右にも左にも灯のひかりの無い堀端で、女の着物の染め模様などが判ろう筈がない。幽霊か妖怪か、いずれ唯者《ただもの》ではあるまいと私は思った。暗い中で姿の見えるものは妖怪であるという古来の伝説が、わたしを強くおびやかしたのである。
まさかにきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と叫んで逃げる程でもなかったが、わたしは再び振り返る勇気もなく、ただ真っ直ぐに足を早めてゆくと、女もわたしを追うように付いて来る。女の癖になかなか足がはやい。そうなると、私はいよいよ気味が悪くなった。江戸時代には三宅坂下の堀に河獺《かわうそ》が棲んでいて、往来の人を嚇《おど》したなどという伝説がある。そんなことも今更に思い出されて、わたしはひどく臆病になった。
この場合、唯一《ゆいいつ》の救いは桜田門外の派出所である。そこまで行き着けば灯の光があるから、私のあとを付けて来る怪しい女の正体も、ありありと照らし出されるに相違ない。私はいよいよ急いで派出所の前までたどり着いた。ここで大胆に再び振り返ると、女の顔は傘にかくされてやはり見えないが、その着物は確かに白地で、桔梗の中形にも見誤まりはなかった。彼女は痩形《やせがた》の若い女であるらしかった。
正体は見届けたが、不安はまだ消えない。私は黙って歩き出すと、女はやはり付いて来た。わたしは気味の悪い道連れ(?)をうしろに背負いながら、とうとう三宅坂下までたどり着いたが、女は河獺にもならなかった。坂上の道はふた筋に分かれて、隼町《はやぶさちょう》の大通りと半蔵門方面とに通じている。今夜の私は、灯の多い隼町の方角へ、女は半蔵門の方角へ、ここで初めて分かれわかれ
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