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かぐつちは目黒の寺に祟《たた》りして
長五郎坊主江戸を焼きけり
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瀧泉寺には比翼塚以外に有名の墓があるが、これは比較的に知られていない。遊女の艶話《つやばなし》は一般に喧伝《けんでん》され易く、学者の功績はとかく忘却され易いのも、世の習いであろう。それはいわゆる甘藷《かんしょ》先生の青木昆陽《あおきこんよう》の墓である。もっとも、境内の丘上と丘下に二つの碑が建てられていて、その一は明治三十五年中に、芝・麻布・赤坂三区内の焼芋商らが建立したもの、他は明治四十四年中に、都下の名士、学者、甘藷商らによって建立されたものである。
こういうわけで、甘藷先生が薩摩芋移植の功労者であることは、学者や一部の人々のあいだには長く記憶されているが、一般の人はなんにも知らず、不動参詣の女たちも全く無頓着で通り過ぎてしまうのは、残念であると云わなければなるまい。
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芋食ひの美少女《うましおとめ》ら知るや如何《いか》に
目黒に甘藷先生の墓
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[#地付き](昭和13・10「短歌研究」)
燈籠流し
病後静養のために箱根に転地、強羅《ごうら》の一福《いちふく》旅館に滞在。七月下旬のある日、散歩ながら強羅停車場へ出てゆくと三十一日午後七時から蘆《あし》の湖《こ》で燈籠《とうろう》流しを催すという掲示があって、雨天順延と註されていた。
けさの諸新聞の神奈川《かながわ》版にも同様の記事が掲げられていたのを、私は思い出した。宿へ帰って訊《き》いてみると、蘆の湖の燈籠流しは年々の行事で、八月一日は箱根神社の大祭、その宵宮《よみや》に催されるものであるという。
さらに案内記を調べると、今より一千一百余年前の天平勝宝《てんぴょうしょうほう》年間に満巻上人という高僧が箱根権現の社《やしろ》に留《とど》まっていた。湖水の西の淵《ふち》には九つの頭を有する悪龍が棲んでいて、土地の少女を其の生贄《いけにえ》として取り啖《くら》っていたが、満巻上人の神呪《しんじゅ》によってさすがの悪龍も永く蟄伏《ちっぷく》し、少女の生贄に代えて赤飯《せきはん》を供えることになった。それが一種の神事となって今も廃《すた》れず、大祭当日には赤飯を入れた白木の唐櫃《からびつ》を舟にのせて湖心に漕ぎ出で、神官が祝詞《のりと》を唱えて
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