壇には和洋の草花の種をめちゃくちゃにまいた。畑には唐蜀黍《とうもろこし》や夏大根の種をまき、茄子《なす》や瓜《うり》の苗を植えた。ゆうがおの種も播《ま》き、へちまの棚も作った。不精者《ぶしょうもの》のわたしに取っては、それらの世話がなかなかの面倒であったが、いやしくも郊外に住む以上、それが当然の仕事のようにも思われて、わたしは朝晩の泥いじりを厭《いと》わなかった。六月の梅雨のころになると、花壇や畑には茎《くき》や蔓《つる》がのび、葉や枝がひろがって、庭一面に濡れていた。
 夏になって、わたしを少しく失望させたのは、蛙《かわず》の一向に鳴かないことであった。筋向うの家の土手下の溝《どぶ》で、二、三度その鳴き声を聴いたことがあったが、そのほかにはほとんど聞えなかった。麹町辺でも震災前には随分その声を聴いたものであるが、郊外のここらでどうして鳴かないのかと、わたしは案外に思った。蛍《ほたる》も飛ばなかった。よそから貰った蛍を庭に放したが、そのひかりはひと晩ぎりで皆どこへか消え失せてしまった。さみだれの夜に、しずかに蛙を聴き、ほたるを眺めようとしていた私の期待は裏切られた。その代りに犬は多い。飼い犬と野良犬がしきりに吠えている。
 幾月か住んでいるうちに、買物の不便にも馴れた。電車や鉄砲の音にも驚かなくなった。湯屋が遠いので、自宅で風呂を焚くことにした。風呂の話は別に書いたが、ゆうぐれの涼しい風にみだれる唐蜀黍の花や葉をながめながら、小さい風呂にゆっくりと浸っているのも、いわゆる郊外気分というのであろうと、暢気《のんき》に悟るようにもなった。しかもそう暢気に構えてばかりもいられない時が来た。八月になると旱《ひでり》つづきで、さなきだに水に乏しいここら一帯の居住者は、水を憂いずにはいられなくなった。どこの家でも井戸の底を覗くようになって、わたしの家主の親類の家などでは、駅を越えた遠方から私の井戸の水を貰いに来た。この井戸は水の質も良く、水の量も比較的に多いので、覿面《てきめん》に苦しむほどのことはなかったが、一日のうちで二時間ないし三時間は汲めないような日もあった。庭の撒水《まきみず》を倹約する日もあった。折角の風呂も休まなければならないような日もあった。わたしも一日に一度ずつは井戸をのぞきに行った。夏ばかりでなく、冬でも少し照りつづくと、ここらは水切れに脅《おびや》かされる
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