の菓子や、辻占《つじうら》せんべいや、花かんざしなどを売る店もまじっている。向う側にも七、八軒の茶屋がならんでいる。どの茶屋も軒には新しい花暖簾《はなのれん》をかけて、さるや[#「さるや」に傍点]とか菊岡《きくおか》とか梅林《ばいりん》とかいう家号を筆太《ふでぶと》にしるした提灯がかけつらねてある。劇場の木戸まえには座主《ざぬし》や俳優《やくしゃ》に贈られたいろいろの幟《のぼり》が文字通りに林立している。その幟のあいだから幾枚の絵看板が見えがくれに仰がれて、木戸の前、茶屋のまえには、幟とおなじ種類の積み物が往来へはみ出すように積みかざられている。
 ここを新富町《しんとみちょう》だの、新富座だのと云うものはない。一般に島原《しまばら》とか、島原の芝居とか呼んでいた。明治の初年、ここに新島原の遊廓が一時栄えた歴史をもっているので、東京の人はその後も島原の名を忘れなかったのである。
 築地《つきじ》の川は今よりも青くながれている。高い建物のすくない町のうえに紺青《こんじょう》の空が大きく澄んで、秋の雲がその白いかげをゆらゆらと浮かべている。河岸《かし》の柳は秋風にかるくなびいて、そこには釣りをしている人もある。その人は俳優の配りものらしい浴衣《ゆかた》を着て、日よけの頬かむりをして粋《いき》な莨入《たばこい》れを腰にさげている。そこには笛をふいている飴《あめ》屋もある。その飴屋の小さい屋台店の軒には、俳優の紋どころを墨や丹《あか》や藍《あい》で書いた庵《いおり》看板がかけてある。居付きの店で、今川焼を売るものも、稲荷鮓《いなりずし》を売るものも、そこの看板や障子や暖簾には、なにかの形式で歌舞伎の世界に縁のあるものをあらわしている。仔細《しさい》に検査したら、そこらをあるいている女のかんざしも扇子も、男の手拭も団扇《うちわ》も、みな歌舞伎に縁の離れないものであるかも知れない。
 こうして、築地橋から北の大通りにわたるこの一町内はすべて歌舞伎の夢の世界で、いわゆる芝居町《しばいまち》の空気につつまれている。もちろん電車や自動車や自転車や、そうした騒雑な音響をたてて、ここの町の空気をかき乱すものは一切《いっさい》通過しない。たまたま此処《ここ》を過ぎる人力車があっても、それは徐《しず》かに無言で走ってゆく。あるものは車をとどめて、乗客も車夫もしばらくその絵看板をながめている。
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