た》を加えられていたらしかった。勿論、この時代にはそれがむしろ普通のことで、素人《しろうと》――榎本君は素人ではないが、その当時はまだ其の伎倆《ぎりょう》を認められていなかった――が寄り集まって書いた脚本が、こういう風に鉈を加えられたり、鱠《なます》にされたりするのは、あらかじめ覚悟してかからなければならないのであった。わたしが榎本君に対して不平らしい口吻《こうふん》を洩らしたのは、要するに演劇《しばい》の事情というものに就《つ》いて私の盲目を証拠立てているのであった。
「素人の書いたものは演劇にならない。」
 それが此の時代に於いては動かすべからざる格言《モットー》として何人《なんぴと》にも信ぜられていた。劇場内部のいわゆる玄人《くろうと》は勿論のこと、外部の素人もみんなそう信じていた。今日《こんにち》の眼から観れば、みずから侮《あなど》ること甚《はなは》だしいようにも思われるかも知れないが、なんと理窟を云っても劇場当事者の方で受付けてくれないのであるから、外部の素人は田作《ごまめ》の歯ぎしりでどうにもならない。たとい鉈でぶっかかれても鱠にきざまれても、採用されれば非常の仕合せで、鉈にも鱠にも最初から問題にされてはいないのであった。もっとも福地先生はこういうことを云っていられた。
「いくら楽屋の者が威張っても仕方がない。今のままでいれば、やがて素人の世界になるよ。」
 しかし、この世界がいつ自分たちの眼の前に開かれるか。ほとんど見当が付かなかった。福地先生は外部から脚本を容れることを拒《こば》むような人ではなかった。むしろ大抵の場合には「結構です」と云って推薦するのを例としていた。しかも推薦されるような脚本はちっとも提供されなかった。それには二種の原因があった。第一には、たとい福地先生は何と云おうとも、劇場全体に素人を侮蔑《ぶべつ》する空気が充満していて、外部から輸入される一切の脚本は先ず敬して遠ざけるという方針が暗々のうちに成立っていたのである。第二には、どんな鉈を受けても、鱠にされても、何でもかでも上場されればいいと云って提出されるような脚本は、実際に於いて其の品質が劣っていた。また、ある程度まで其の品質に見るべきものがあるような脚本を書き得る人は、鉈や鱠の拷問《ごうもん》に堪えられなかった。
 以上の理由で、どの道、外部から新しい脚本を求めるということは不可
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