とんど完全に保存されている。これに列《なら》んで其の妻の墓もある。その傍には明治時代に新しく作られたという大きい石碑もある。
 しかし私に取っては、大野九郎兵衛の墓の方が注意を惹《ひ》いた。墓は大きい台石の上に高さ五尺ほどの楕円形の石を据えてあって、石の表には慈望遊謙《じぼうゆうけん》墓、右に寛延《かんえん》○年と彫ってあるが、磨滅しているので何年かよく読めない。墓のありかは本堂の横手で、大きい杉の古木をうしろにして、南にむかって立っている。その傍にはまた高い桜の木が聳えていて、枝はあたかも墓の上を掩うように大きく差し出ている。周囲にはたくさんの古い墓がある。杉の立木は昼を暗くする程に繁っている。「仮名手本忠臣蔵」の作者|竹田出雲《たけだいずも》に斧九太夫《おのくだゆう》という名を与えられて以来、ほとんど人非人のモデルであるように、あまねく世間に伝えられている大野九郎兵衛という一個の元禄《げんろく》武士は、ここを永久の住み家と定めているのである。
 一昨年初めて参詣した時には、墓のありかが知れないので寺僧に頼んで案内してもらった。彼は品のよい若僧《にゃくそう》で、いろいろ詳しく話してくれた。その話に拠《よ》ると、その当時のこの磯部には浅野《あさの》家所領の飛び地が約三百石ほどあった。その縁故に因って、大野は浅野家滅亡の後ここに来て身を落ちつけたらしい。そうして、大野とも云わず、九郎兵衛とも名乗らず、単に遊謙《ゆうけん》と称する一個の僧となって、小さい草堂《そうどう》を作って朝夕に経を読み、かたわらには村の子供たちを集めて読み書きを指南していた。彼が直筆《じきひつ》の手本というものが今も村に残っている。磯部に於ける彼は決して不人望ではなかった。弟子たちにも親切に教えた、いろいろの慈善をも施した、碓氷川の堤防も自費で修理した。墓碑に寛延の年号を刻んであるのを見ると、よほど長命であったらしい。独身の彼は弟子たちの手に因って其の亡骸《なきがら》をここに葬られた。
「これだけ立派な墓が建てられているのを見ると、村の人にはよほど敬慕されていたんでしょうね。」と、わたしは云った。
「そうかも知れません。」
 僧は彼に同情するような柔らかい口振りであった。たとえ不忠者にもせよ、不義者にもあれ、縁あって我が寺内に骨を埋めたからは、平等の慈悲を加えたいという宗教家の温かい心か、あるいは
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