かと思うと、又すぐに睡《ねむ》そうにどんよりと暗くなる。鶏が勇ましく歌っても、雀がやかましく囀《さえず》っても、上州《じょうしゅう》の空は容易に夢から醒めそうもない。
「どうも困ったお天気でございます。」
 人の顔さえ見れば先ず斯《こ》ういうのが此の頃の挨拶になってしまった。廊下や風呂場で出逢う逗留《とうりゅう》の客も、三度の膳を運んで来る旅館の女中たちも、毎日この同じ挨拶を繰り返している。わたしも無論その一人である。東京から一つの仕事を抱えて来て、此処《ここ》で毎日原稿紙にペンを走らしている私は、ほかの湯治客ほどに雨の日のつれづれに苦しまないのであるが、それでも人の口真似をして「どうも困ります」などと云っていた。
 実際、湯治とか保養とかいう人たちは別問題として、上州のここらは今が一年じゅうで最も忙がしい養蚕《ようさん》季節で、なるべく湿《ぬ》れた桑の葉をお蚕《こ》さまに食わせたくないと念じている。それを考えると「どうも困ります」も、決して通り一遍の挨拶ではない。ここらの村や町の人たちに取っては重大の意味をもっていることになる。土地の人たちに出逢った場合には、わたしも真面目に「どうも困ります」と云うことにした。
 どう考えても、きょうも晴れそうもない。傘をさして散歩に出ると、到る処の桑畑は青い波のように雨に烟っている。妙義《みょうぎ》の山も西に見えない。赤城《あかぎ》、榛名《はるな》も東北に陰っている。蓑笠《みのかさ》の人が桑を荷《にな》って忙がしそうに通る、馬が桑を重そうに積んでゆく。その桑は莚《むしろ》につつんであるが、柔らかそうな青い葉は茹《ゆ》でられたようにぐったりと湿れている。私はいよいよ痛切に「どうも困ります」を感じずにはいられなくなった。そうして、鉛のような雨雲を無限に送り出して来る、いわゆる「上毛《じょうもう》の三名山」なるものを呪わしく思うようになった。

 磯部には桜が多い。磯部桜といえば上州の一つの名所になっていて、春は長野《ながの》や高崎《たかさき》、前橋《まえばし》から見物に来る人が多いと、土地の人は誇っている。なるほど停車場に着くと直ぐに桜の多いのが誰の眼にもはいる。路ばたにも人家の庭にも、公園にも丘にも、桜の古木が枝をかわして繁っている。磯部の若葉はすべて桜若葉であると云ってもいい。雪で作ったような向い翅《ばね》の鳩の群れがたくさんに
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