たそうで、二十年前までは二百戸以上をかぞえた人家が今では僅かに三十二戸に減ってしまったと云います。
「なにしろ貸座敷が無くなったので、すっかり寂《さび》れてしまいましたよ。」
「そうかねえ。」
わたしは巻煙草の吸殻《すいがら》を捨てて起つと、案内者もつづいて歩き出しました。山霧は深い谷の底から音も無しに動いて来ました。
案内者は振り返りながらまた話しました。上州《じょうしゅう》一円に廃娼を実行したのは明治二十三年の春で、その当時妙義の町には八戸の妓楼《ぎろう》と四十七人の娼妓があった。妓楼の多くは取り毀されて桑畑となってしまった。磯部《いそべ》や松井田《まついだ》からかよって来る若い人々のそそり唄も聞えなくなった。秋になると桑畑には一面に虫が鳴く。こうして妙義の町は年毎に衰えてゆく。
谷川の音が俄かに高くなったので、話し声はここで一旦消されてしまいました。頂上の方からむせび落ちて来る水が岩や樹の根に堰《せ》かれて、狭い山路を横ぎって乱れて飛ぶので、草鞋《わらじ》を湿《ぬ》らさずに過ぎる訳には行きませんでした。案内者は小さい石の上をひょいひょいと飛び越えて行きます。わたしもおぼつかない足取りで其の後を追いましたが、草鞋はぬれていい加減に重くなりました。
水の音をうしろに聞きながら、案内者はまた話し出しました。維新前の妙義町は更に繁昌したものだそうで、普通の中仙道は松井田から坂本《さかもと》、軽井沢《かるいざわ》、沓掛《くつかけ》の宿々《しゅくじゅく》を経て追分《おいわけ》にかかるのが順路ですが、そのあいだには横川《よこかわ》の番所があり、碓氷《うすい》の関所があるので、旅人の或る者はそれらの面倒を避けて妙義の町から山伝いに信州の追分へ出る。つまり此の町が関の裏路になっていたのです。山ふところの夕暮れに歩み疲れた若い旅人が青黒い杉の木立《こだち》のあいだから、妓楼の赤い格子を仰ぎ視た時には、沙漠でオアシスを見いだしたように、かれらは忙《いそ》がわしくその軒下に駈け込んで、色の白い山の女に草鞋の紐《ひも》を解かせたでしょう。
「その頃は町もたいそう賑やかだったと、年寄りが云いますよ。」
「つまり筑波《つくば》の町のような工合だね。」
「まあ、そうでしょうよ。」
霧はいよいよ深くなって、路をさえぎる立木の梢《こずえ》から冷たい雫《しずく》がばらばらと笠の上に降って
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