参詣の者はみな社務所に宿を借るのである。わたしも泊まった。夜が更けると、雨が瀧のように降って来た。山を震わすように雷《らい》が鳴った。稲妻が飛んだ。
「この天気では、あしたの船が出るか知ら。」と、わたしは寝ながら考えた。
これを案じているのは私ばかりではあるまい。今夜この社務所には百五十余人の参詣者が泊まっているという。この人々も同じ思いでこの雨を聴いているのであろうと思った。しかも今日では種々の準備が整っている。海が幾日も暴《あ》れて、山中の食料がつきた場合には、対岸の牡鹿《おじか》半島にむかって合図の鐘を撞《つ》くと、半島の南端、鮎川《あゆかわ》村の忠実なる漁民は、いかなる暴風雨の日でも約二十八丁の山雉《やまどり》の渡しを乗っ切って、必ず救助の船を寄せることになっている。
こう決まっているから、たとい幾日この島に閉じ籠められても、別に心配することも無い。わたしは平気で寝ていられるのだ。が、昔はどうであったろう。この社《やしろ》の創建は遠い上代《じょうだい》のことで、その年時も明らかでないと云う。尤《もっと》もその頃は牡鹿半島と陸続きであったろうと思われるが、とにかく斯《こ》ういう場所を撰んで、神を勧請《かんじょう》したという昔の人の聡明に驚かざるを得ない。ここには限らず、古来著名の神社仏閣が多くは風光|明媚《めいび》の地、もしくは山谷嶮峻の地を相《そう》して建てられていると云う意味を、今更のようにつくづく感じた。これと同時に、古来人間の信仰の力というものを怖ろしいほどに思い知った。海陸ともに交通不便の昔から年々幾千万の人間は木《こ》の葉のような小さい舟に生命を托して、この絶島《はなれじま》に信仰の歩みを運んで来たのである。ある場合には十日も二十日も風浪に阻《はば》められて、ほとんど流人《るにん》同様の艱難《かんなん》を嘗《な》めたこともあったろう。ある場合には破船して、千尋《ちひろ》の浪の底に葬られたこともあったろう。昔の人はちっともそんなことを怖れなかった。
今の信仰の薄い人――少なくとも今のわたしは、ほとんど保険付きともいうべき大きな汽船に乗って来て、しかも食料欠乏の憂いは決して無いという確信を持っていながら、一夜の雷雨にたちまち不安の念をきざすのである。こんなことで、どうして世の中に生きていられるだろう。考えると、何だか悲しくなって来た。
雷雨は漸
前へ
次へ
全204ページ中98ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング