六歳であるが、恐らく三十歳になるまではそのままであろうという。
 その話を聞かされて、私はいよいよ可哀そうになった。いかに国風とは云いながら、兵になったと云うことがそれ程の罪であろうか。それに伴って、何か他に悪事でも働いたというならば格別、単に軍服を身に纏ったと云うだけのことで、これほどの仕置を加えるのは余りに残酷であると思った。彼が肩身を狭くして、一種の継子のような風をして、他国人の私たちを恋しがるのも無理はない。その以来、私は努めて彼に対して親しい態度を執るようにすると、彼もよろこんで私に接近して来た。
 ある日、私が城内へ買物にゆくと、その帰り途で彼に逢った。彼も何か買物にやられたとみえて、大きい包みをかついでいた。それでも直ぐに私のそばへ駈け寄って来て、私の荷物を持ってくれた。一緒に帰る途中、私は彼にむかって「お前も骨が折れるだろう。」と慰めるように云うと、彼は「私が悪いのだ。」と答えた。彼自身も飛んだ心得違いをしたように後悔しているらしかった。
 これはほんの一例に過ぎないが、良家の子が兵となれば、結局こんなことになるのである。入営の送迎に旗を立ててゆく我が国風とは、あまりに相違しているではないか。いかなる名将勇士でも、国民の後援がなければ思うようの働きは出来ない。その国民がこの如くに兵を嫌い兵を憎むようでは、士気の振わないのも当然であるばかりか、まじめな人間は兵にならない。兵の素質の劣悪もまた当然であると云うことを、私はつくづく感じた。
 平和を愛するのはいい。しかしこれほどに武を憎む国民は世界の優勝国民になり得ない。シナはあまりに文弱であり過ぎる。これと反対の一例を私が実験しているだけに、この際いよいよその感を深うしたのである。
 劉家へ来るひと月ほど以前に、私は海城《かいじょう》北方の李家屯《りかとん》という所に四日ばかり滞在したことがある。これも相当の大家であったが、私が宿泊の第一日には家人は全く姿をみせず、老年の雇人ひとりが来て形式的の挨拶をしただけで、万事の待遇が甚だ冷淡であった。
 その第二日に、その家の息子らしい十二、三歳の少年が私の居室の前に遊んでいた。彼は私の持っている扇をみて、しきりに欲しそうな顔をしているので、私はその白扇に漢詩の絶句をかいてやると、彼はよろこんで貰って行った。すると、一時間あまりの後に、その家の長男という二十二、三
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