本屋の上田屋の二階に同居した。そのあとへは更に手入れをして質屋の隠居さんが越して来た。近所ではあるが町内が違うので、わたしはその後徳さんの姿を見かけることはほとんど無かった。

 それからまた二年過ぎた。そうして、柚湯の日に徳さんの死を突然きいたのである。徳さんの末路は悲惨であった。しかし徳さんもお玉さんもあくまで周囲の人間を土百姓と罵って、自分たちだけがほんとうの江戸っ児であると誇りつつ、長い一生を強情に押し通して行ったかと思うと、単に悲惨というよりも、むしろ悲壮の感がないでもない。
 そのあくる日の午後にわたしは再び建具屋のおじいさんに湯屋で逢った。おじいさんは徳さんの葬式から今帰ったところだと云った。
「徳の野郎、あいつは不思議な奴ですよ。なんだか貧乏しているようでしたけれど、いよいよ死んでから其の葛籠《つづら》をあらためると、小新しい双子《ふたこ》の綿入れが三枚と羽織が三枚、銘仙の着物と羽織の揃ったのが一組、帯が三本、印半纏が四枚、ほかに浴衣が五枚と、それから現金が七十円ほどありましたよ。ところが、今までめったに寄り付いたことのねえ奴らが、やれ姪《めい》だの従弟《いとこ》だのと云って方々からあつまって来て、片っ端からみんな持って行ってしまいましたよ。世の中は薄情に出来てますね。なるほど徳の野郎が今の奴らと附き合わなかった筈ですよ。」
 わたしは黙って聴いていた。そうして、お玉さんは此の頃どうしているかと訊いた。
「お玉は病院へ行ってから、からだはますます丈夫になって、まるで大道|臼《うす》のように肥ってしまいましたよ。」
「病気の方はどうなんです。」
「いけませんね。もうどうしても癒らないでしょうよ。まあ、あすこで一生を終るんですね。」と、おじいさんは溜息をついた。「だが、当人としたら其の方が仕合せかも知れませんよ。」
「そうかも知れませんね。」
 二人はそれぎり黙って風呂へはいった。[#地付き](掲載誌不詳、『十番随筆』所収)
[#改丁、ページの左右中央に]

   ※[#ローマ数字2、1−13−22] 旅つれづれ

[#改丁]


昔の従軍記者


     *

 ××さん。
 仰せの通り、今回の事変(支那事変)について、北支方面に、上海《シャンハイ》方面に、従軍記者諸君や写真班諸君の活動は実にめざましいもので、毎日の新聞を見るたびに、他人事《ひとごと
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