赤児の泣く声がきこえる。不思議に思って見まわすと、年古る樟《くす》の大樹に鷲の巣があって、その巣のなかに赤児が泣いているのであった。あたかもそこへ来かかった木樵《きこり》にたのんで、赤児を木の上から取りおろしてもらって、ともかくもここまで抱いてきたが、長い旅をする尼僧の身で、乳飲み子をたずさえていては甚だ難儀である。なんとかしてお前の手で養育してくれまいかと、かれは角蔵に頼んだ。
 その赤児は尼僧の私生児であろうと、角蔵は推量した。鷲の巣から救い出して来たなどというのは拵えごとで、尼僧が自分の私生児の処分に困って、その貰い手を探しているのであろうと推量したので、彼は気の毒にも思い、また一方には慾心を起して、もし相当の養育料をくれるならば引取ってもいいと答えると、尼僧は小判一両を出して渡した。角蔵はその金と赤児とを受取って別れた。その尼僧は何者であるか、それから何処へ行ったか、その消息はいっさい不明であった。
 角蔵夫婦にはお島という娘がある。赤児も女であるので、その妹として養育した。甲州の親類からよんどころなく引取ってきたと世間には披露して、その名をお蝶と呼ばせていた。同情が半分、慾心が半分で貰ってきた子ではあるが、元来が正直者の角蔵は、わが子とおなじようにお蝶を可愛がって育てた。お蝶はもちろんその秘密を知らないので、夫婦を真実の親として慕っていた。
「今までは尼さんの作り話だと一途《いちず》に思いつめていましたが、こうなるとお蝶が鷲の巣にいたというのも本当で、お蝶と鷲とのあいだに何かの因縁があるのかも知れません。」と、角蔵は不思議そうに言った。
「お蝶は乱心しているらしいと、若旦那さまは言っていたが……。そんな因縁付きの娘だということは、誰も知らなかった。」と、久助は言った。「なにしろ若旦那がこんなことになったので、お島さんも気ちがいのようになって泣いていたよ。」
 若旦那とお島との秘密、それは角蔵夫婦も知らないのであった。

 又次郎の変死は宿の者どもにも堅く口留めをして置いたのであったが、いつか世間に洩れきこえて狭い村じゅうの噂にのぼったので、父の弥太郎もおなじく病気と披露して江戸へ帰ることになった。
 江戸へ帰って五日目に、弥太郎もまた急病死去という届け出でがあった。相続人の又次郎は父よりも先に死んでいるのみならず、別に急養子を迎えにくい事情もあるので、和田の家は断絶した。
 弥太郎が撃ち洩らした鳥は、果たして尾白であったかどうだか判らなかったが、ともかくもその一季ちゅうに尾白の姿を認めた者はなかった。記録によると、その翌年、すなわち文政十二年の冬に、尾白の大鷲は鉄砲方の与力《よりき》池田貞五郎に撃ち留められたとある。



底本:「鷲」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「婦人公論」
   1932(昭和7)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくってい ます。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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