いう保証の詞《ことば》をきかされて、お絹は頼りないなかにも何だか心強いようにも感じた。
苦《にが》い酒も無理に飲んでいるうちに幾らか酔いがまわってきて、自分ひとりでくよくよ考えていても詰まらないというような浮いた気も起った。このあいだから自分の小屋へ足ちかく見物にくる若旦那ふうの男があって、それは浅草の質屋の息子だとお花が話したことも思い出された。その男もまんざらの男振りではないなどとも考えた。自分が舞台から情《じょう》のこもった眼を投げれば、かれを捕虜《とりこ》にすることはさのみむずかしくもないというような、一種の誇り心も起った。そうは思っても、やはり林之助が恋しかった。
お絹とお君が夜露にぬれて一つ目の家へ帰り着いたのは、その夜の五つごろ(午後八時)であった。家には毎日留守番をたのむ隣りのお婆さんが眠そうな眼をして待っていた。お婆さんはお土産の折《おり》を貰って喜んで帰った。
「君ちゃん。戸をお閉めよ。もうすぐに寝ようじゃないか」
「はい」
お君は素直に格子を閉めにいった。お君は近所の大工の娘で、家の都合がよくないのと、現在の母は生みの親でないのとで、去年からお絹の家《うち》へ弟子とも奉公人とも付かずに預けられているのであった。継《まま》しい母の手に育てられただけに、年の割には何かとよく気が付くので、お絹も彼女を可愛がっていた。
「お寝《やす》みなさい」
眠い盛りのお君は床にはいると直ぐに又たたき起された。寝ぼけまなこを擦《こす》りながら格子をあけて出ると、外には若い男が忍ぶように立っていた。隣りと隣りとの庇合《ひさしあわ》いから落ち込んでくる月のひかりを浴びて、彼の横顔は露を帯びたように白く見えた。
「あら、林さん」
「たいへんに早寝だね」と、林之助は笑っていた。「姐さんはもう寝たのか」
お君にあとを閉めさせ、林之助はずっと奥の六畳へ通ると、お絹はもう寝床から脱け出していた。
林之助は主人の使いで割下水《わりげすい》まで来たので、その帰りにちょっと寄ってみたのだと言った。お君が火消し壺からまだ消えない火種を拾い出して来ると、林之助はとりあえず一服すった。
「どうしたい。顔の色が悪いじゃないか」
「きょうは舞台で倒れたの」
「そりゃあいけない。どうしたんだ」
「なに、すぐに癒ったの。やっぱり暑気あたりだってお医者がそう言って……」
「なにしろ、大事に
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