もや足を早めてそのあとを追って行った。このあいだもきょうも、夕方とはいっても日はまだ明るい。しかも町家つづきの往来のまん中で、狐や狸が化かすとも思われない。どんな女か、その顔をはっきりと見届けて、それが人違いであることを確かめなければ何分にも気が済まないので、西岡は駈けるように急いでゆくと、娘はきょうも日傘をさしている。それが邪魔になってその横顔を覗くことが出来ないので、かれは苛々《いらいら》しながら付けてゆくと、娘はやがて権田原につづく広い草原に出た。ここは草深いが中にも草深いところで、夏から秋にかけては人も隠れるほどの雑草が高く生い茂っていて、そのあいだに唯ひと筋の細い路が開けているばかりである。娘はその細い路をたどってゆく。西岡もつづいて行った。
「人違いであったらば、あやまるまでのことだ。思い切って呼んでみよう。」
西岡も少しく焦れて来たので、ひとすじ道のうしろから思い切って声をかけた。
「もし、もし。」
娘には聞えないのか、黙って俯向いて足を早めてゆく。それを追いながら西岡は又呼んだ。
「もし、もし。お嬢さん。」
娘はやはり振向きもしなかったが、うしろから追って来る人のあるのを覚ったらしい。俄かに路をかえて草むらの深いなかへ踏み込んでゆくので、西岡はいよいよ不思議に思った。
「もし、もし。姐《ねえ》さん……お嬢さん。」
つづけて呼びながら追ってゆくと、娘のすがたはいつか草むらの奥に隠れてしまった。西岡はおどろいて駈けまわって、そこらの高い草のなかを無暗に掻き分けて探しあるいたが、娘のゆくえはもう判らなかった。西岡はまったく狐にでも化かされたような、ぼんやりした心持になった。そうして、なんだか急に薄気味悪くなって来たので、早々に引っ返して青山の大通りへ出た。
家へ帰って詮議すると、きょうもお福はどこへも出ないというのである。お福には限らず、そのころの武家の若い娘がむやみに外出する筈もないのであるから、出ないというのが本当でなければならない。そうは思いながらも、このあいだといい、きょうといい、途中で出逢ったかの娘の姿があまりお福によく似ているということが、西岡の胸に一種の暗い影を投げかけた。その以来、かれは妹に対してひそかに注意のまなこを向けていたが、お福の挙動に別に変ったらしいことも見いだされなかった。
二
西岡は一度ならず二度ならず、三度目の不思議に遭遇した。
それはあくる月の十三日である。きょうは盂蘭盆の入りであるというので、西岡は妹をつれて小梅の菩提寺へ参詣に行った。残暑の強い折柄であるから、なるべく朝涼《あさすず》のうちに行って来ようというので、ふたりは明け六つ(午前六時)頃から江戸川端の家を出て、型のごとくに墓参をすませて、住職にも逢って挨拶をして、帰り途はあずま橋を渡って浅草の広小路に差しかかると、盂蘭盆であるせいか、そこらはいつもより人通りが多い。その混雑のなかを摺りぬけて行くうちに、西岡は口のうちであっ[#「あっ」に傍点]と叫んだ。妹に生き写しというべき若い娘の姿が、きょうも彼の眼先にあらわれたからである。
西岡はあわてて自分のうしろを見かえると、お福はたしかに自分のあとから付いて来た。五、六間さきには彼女《かれ》と寸分違わない娘のうしろ姿がみえる。妹が別条なく自分のあとに付いている以上、所詮かの娘は他人の空似と決めてしまうよりほかはなかったが、いかになんでもそれが余りによく似ているので、西岡の不審はまだ綺麗にぬぐい去られなかった。かれは妹をみかえって小声で言った。
「あれ、御覧、あの娘を……。おまえによく似ているじゃあないか。」
扇でさし示す方角に眼をやって、お福も小声で言った。
「自分で自分の姿はわかりませんけれど、あの人はそんなにわたくしに似ているでしょうか。」
「似ているね。まったく好く似ているね。」と、西岡は説明した。「しかもきょうで三度逢うのだ。不思議じゃあないか。」
「まあ。」
とは言ったが、お福のいう通り、自分で自分の姿はわからないのであるから、かの娘がそれほど自分によく似ているかどうかを妹はうたがっているらしく、兄がしきりに不思議がっているほどに、妹はこの問題について余り多くの好奇心を挑発されないらしかった。
「ほんとうによく似ているよ。お前にそっくりだよ。」と、兄はくり返して言った。
「そうですかねえ。」
妹はやはり気乗りのしないような返事をしているので、西岡も張合い抜けがして黙ってしまったが、その眼はいつまでもかの娘のうしろ姿を追っていると、奴《やっこ》うなぎの前あたりで混雑のあいだにその姿を見失なった。きょうは妹を連れているので、西岡はあくまでもそれを追って行こうとはしなかったが、二度も三度も妹に生き写しの娘のすがたを見たということがどうも不思
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