こういう時には案外の寄附金が集まって、番頭は留桶新調の実費以外に相当の収入があったという。
留桶新調のほかに、留桶を毎日使用している客は、盆暮の二季に幾らかの祝儀を番頭に遣るのが習であった。そんなわけで、辛抱人の番頭は金を溜めることが出来た。まだ其のほかに貰い湯というものがあった。正月と盆の十六日は番頭の貰い湯と称して、焚物の実費だけを主人に支払い、入浴料はすべて自分の所得となるので、当日は番頭自身が番台に坐りやはり白木の三宝を控えて、例の「おひねり」の湯銭を受取るのであった。この日も浴客は普通以上の湯銭を包んで行き番頭も一々丁寧に礼を云った。
菖蒲湯、ゆず湯、盆と正月の貰い湯、留桶新調、それらのほかに正月の三ヶ日間は番台に例の三宝を置いて、おひねりを受取る。これは湯屋の所得である。こういう風に数えて来ると、なんの彼のと名をつけて、普通の入浴料以外のものを随分徴収されたようであるが、一年三百六十五日の長いあいだに、そのくらいの事は仕方がないと覚悟して、別に苦情をいう者もなかった。今日に比べると、その当時の浴客は番台と親しみが深いようであった。番台には今日と同様、湯屋の亭主か女房か又は娘が坐っていたのであるが、顔なじみの客が来れば何とか挨拶して話しかける、客の方でも何か話しているのが多かった。世の中が閑であったせいもあろうが、そんなわけで双方の親しみが深いので、前にいう菖蒲湯その他のおひねりも快く支払われたのであろう。
夜は格別、昼間は入浴の客も少く、番台にぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]坐っているのも退屈であるので、大抵は小説や雑誌などを読んでいる。その読物を貸してくれる客も多かった。貸してくれるばかりでなく、又それを借りて行く客もある。つまりは番台を仲介所にして、小説や雑誌の回覧を行っている形であった。一々に見物するわけでもあるまいが、番台の人たちは芝居の噂などをよく知っていて、今度の歌舞伎座はどうだとか、新富座はどうだとか云って話した。したがって、湯屋や髪結床の評判が芝居や寄席の人気にも相当の影響をあたえたらしく湯屋の脱衣場や流し場には芝居の辻番附や、近所の寄席のビラが貼られていた。
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日清戦争以後の頃から著るしく目立って来たのは、美服を着て湯屋へゆく人の多くなった事である。女客は格別、男客は不断着のままで入浴に出かけるのが普通
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