のお迎いにまいりました」
「花魁とは誰だ」
「へへへへへ」と、喜介は忌《いや》に笑った。「先々月駈け出したぎりで、音沙汰なしの花魁でございます。相手も大体見当が付いてはおりますが、表沙汰にしましてはまた御迷惑をする方もあるだろうと、内所《ないしょ》で手分けをして探していましたが、眼と鼻の間のこんなところに隠れていようとは、今の今までちっとも知りませんでした。まことに恐れ入りますが、どうかあなた様から花魁によく仰しゃって、ここはまあ一旦素直に帰るように願いとうございます」
「いや、綾衣はここにはおらぬ」
 外記は居ないと言った。喜介は居るに相違ないと言い張って、しまいには家探《やさが》しをするとまで言い出したので、外記ももう面倒になった。
「たとい綾衣が隠れて居ようとも連れて帰ることは相成らぬ。外記が不承知だと、立ち帰って主人に申せ」
 喜介はせせら笑った。
「へへ、子供の使いじゃございません。じゃあ、殿様、どうしても綾衣さんの花魁を渡しちゃあ下さいませんか」
「知れたことだ。帰れ、帰れ」
「へえ、さようでございますか」
 こんなことを言いながら、喜介の料簡ではまず不意に相手の刀を取りあげてしまって、そのすきに奥から女を奪い出そうとする魂胆であったらしいが、外記の方にも油断はなかった。喜介が蛇のような手をそっと伸ばすと同時に、彼の腕はもう外記にしっかりと掴まれていた。
「武士の腰の物に眼をかける、おのれは盗賊だな」
 掴まれた腕が外記の手を離れた時には、彼は狗《いぬ》ころのように庭さきに投げ出されていた。
 つづいて外記の手は刀の柄にかかったので、彼はうろたえて這い廻って逃げた。ほかの二人も度を失ってばらばら[#「ばらばら」に傍点]と逃げ出した。空《から》駕籠をおろして門口《かどぐち》に待っていた駕籠屋も面食らって逃げた。
 もとより斬る気はないが、おどしのために外記は縁を飛び降りて門口まで追って出た。彼らの遠くなったのを見とどけて再び内へ引っ返して、手水鉢《ちょうずばち》の水で足の泥を洗っていると、綾衣は手拭を持って来て綺麗に拭いてやった。
 一旦はおどして追い返しても、ここの隠れ家を突き留めた以上は、大菱屋が泣き寝入りに済まそう筈がない。また出直して押して来るか、あるいは思い切って表沙汰にするかも知れない。女はもう眼に見えない網にかかっているのであった。
 二人は
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