低い四目垣《よつめがき》にかぶさっている萩の葉の軽いそよぎにも、どこにか冷たい秋風のかよっているのが知られて、大きいとんぼが縁のさきへ流れるように飛んで来た。
 お縫が運んで来た茶を飲みながら、五郎三郎は世間話などを二つ三つした上で、ふだんから好きな碁の話に移った。
「おれもこのあいだは御用繁多であったが、幸い今日は非番だ。といって、屋敷に唯つくねん[#「つくねん」に傍点]としていても退屈だから、久し振りでひと勝負しようかとわざわざ出かけて来た。どうだ、外記。この頃は少しは強くなったか。三左衛門、盤を持ってまいれ」
 三左衛門はすぐに碁盤を持ち出して来たが、外記はとてもそんな悠長な落ち着いた気分にはなれなかった。
「わたくしはこのごろ暫く盤にむかいませんので、とても叔父さまのお相手にはなれませぬ。どうかきょうは御免を……」
「見れば顔色もよくないようだが、気分でもすぐれぬのか」
「いえ、別に病気という訳でもござりませぬが……」
「病気でなくば一局まいれ。かえって暑さを忘れるものだ」
 叔父はもう石を取り始めたので、外記も断わり切れなくなって、いやいやながら盤にむかった。五郎三郎も面白づくで碁を打っているのではなかった。いやいや相手になっている外記よりも、もっと忌《いや》な、苦しい、悲しい、切《せつ》ない思いを胸の奥に畳み込んで、無理に悠長らしい顔をつくっているのであった。
 妹や家来たちが恐れていた通り、外記はいよいよ募る放埒のたたりで、近いうちにかの甲府勝手を仰せ付けられることになった。本人はまだ知らないが、支配頭から叔父にはもう内達《ないたつ》があった。この一家の上を掩《おお》っていた黒雲から、とうとう怖ろしい雷《らい》が落ちた。こうなることは内々予期していないでもなかったが、それを聞いた五郎三郎は今更のようにがっかりした。もうどうすることも出来ない。
 藤枝の家はつぶされたも同然である。甥の身の上は自業自得《じごうじとく》の因果で是非ないとしても、自分の宗家《そうけ》たる藤枝の家をこのまま亡ぼしてしまっては、先祖に対しても申し訳がない、死んだ兄に対しても申し訳がない。五郎三郎は二日ほども胸を痛めた末に、思えばむごい、しかしこの時代の武士としてはまことにやむを得ない或る非常手段を考え出した。
 彼は外記を自滅させようと覚悟した。表向きは頓死と披露して、妹のお縫に
前へ 次へ
全50ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング