》のしらべが手に取るようにここまで歓楽のひびきを送って、冬枯れのままに沈んでいるこの村の空気を浮き立たせることもあるが、ことし十八とはいうものの、小柄で内端《うちわ》で、肩揚げを取って去年元服したのが何だか不似合いのようにも見えるほどな、まだ子供らしい初心《うぶ》の十吉にとっては、それがなんの問題にもならなかった。
 たとい昼間は鋤《すき》や鍬《くわ》をかついでいても、夜は若い男の燃える血をおさえ切れないで、手拭を肩にそそり節《ぶし》の一つもうなって、眼のまえの廓をひと廻りして来なければどうしても寝つかれないという村の若い衆の群れから、十吉は遠く懸け離れて生きていた。ありゃあまだ子供だとひとからも見なされていた。十六の秋、母のお時といっしょに廓の仁和賀《にわか》を見物に行ったとき、海嘯《つなみ》のように寄せて来る人波の渦に巻き込まれて、母にははぐれ、人には踏まれ、藁草履《わらぞうり》を片足なくして、危うく命までもなくしそうになって逃げて帰って来たことがあった。十吉が吉原の明るい灯を近く見たのは、あとにもさきにもその一度で、仲《なか》の町《ちょう》の桜も、玉菊《たまぎく》の燈籠も、まったく別の世界のうわさのように聞き流していた。
「あたし、まだ一度も吉原の初午へ行ったことがないから、ことしは見に行こうか知ら。え、十《じゅう》さん、一緒に行かないか」
 顔を覗いて少し甘えるように誘いかけられても、十吉はなんだか気の乗らないような返事をしているので、お米もしまいには面白くないような顔をして、子供らしくすねて見せた。
「お前、あたしと一緒に行くのはいやなの」
「いやじゃないけれども詰まらない。初午ならば向島へ行って、三囲《みめぐ》りさまへでも一緒にお詣りをした方がいいよ」
「でも、吉原の方が賑やかだというじゃあないか」と、お米はまだ吉原の方に未練があった。
「賑やかでもあんなところはいやだ、詰まらない」
 十吉は頻《しき》りに詰まらないと言った。二人は来月の初午について今から他愛なく争っていたが、結局らちが明かなかった。
「十さん、吉原は嫌いだね」
「むむ」
 二人はまた黙って空を仰ぐと、消え残った雲のような白い雪が藁《わら》屋根の上に高くふわりと浮かんでいた。遠い上野の森は酔ったように薄紅く霞んで、龍泉寺から金杉の村々には、小さな凧《たこ》が風のない空に二つ三つかかってい
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