し、敵をまねいて射よという。やがて源氏の武者一騎、萌葱《もえぎ》おどしの鎧きて、金覆輪《きんぷくりん》の鞍置いたる黒駒にまたがり、浪打ちぎわより乗入ったり。
与五郎 おお、それぞわが兄……那須与市宗隆《なすのよいちむねたか》……。
玉虫 おお、那須与市ということは後にて知った。兎にも角にもおぼえある武士ならん、いかに射るぞと見てあれば、かれは鏑矢《かぶらや》を取ってつがえ、よっ引いて飄《ひょう》と放つ。さすがに狙いはあやまたず、扇のかなめを射切ったれば、扇は空にまいあがり、風にもまれて海に落つ。(無念の声をふるわせる。)これぞ敗けいくさの前兆と、味方は愁《うれ》い……敵は勇む。わらわも無念に堪えかねて、扇と共に沈まんかと一旦は覚悟したれど、おもい直してきょうまでもおめおめとながらえしぞ。その与市の弟と名乗る奴、測《はか》らずここへ来たりしからは、いかで無事に帰そうか。
与五郎 さては扇のまとのうらみによって……。
玉虫 おのれはかたきの末じゃ。兄の与市めも遅かれ速かれ、共に地獄へ送ってやろうぞ。
(いよいよ心地よげに笑う。与五郎は無念の歯をかめども、苦痛はしだいにはげしく、ただ苦しき息をつくのみ。玉琴は這い寄る。)
玉琴 与五郎どの……。おん身をここへ誘うて来ずば、こうしたことにもなるまいものを……。
与五郎 おお、この上は是非も無し、かれは生きて源氏を呪わんと云う……われは死して彼を呪わん。玉虫……。おのれもやがて思い知ろうぞ。
玉虫 人に執念のないものは無い。われもひとを恨めば、ひとも我を恨もう。つまりは五分五分じゃ。恨まば恨め、七生の末までも恨むがよい。
与五郎 おのれ……。
(起たんとしてよろめくを、玉琴は支えんとしてすがりつく。)
与五郎 最早これまで……。玉琴……。
玉琴 与五郎どの……。
(与五郎は刀をとりなおして玉琴の胸を刺し、返す刀にてわが腹に突き立て、引きまわして倒る。下のかたの木かげより雨月再びうかがい出で、垣の外にひざまずきて合掌す。玉虫は見咎める。)
玉虫 そこにいるは誰じゃ。
雨月 (しずかに。)わたくしでござりまする。
玉虫 むむ、宗清か。遠慮はない、これへ来や。
雨月 いや、まいりますまい。わたくしは御仏《みほとけ》に仕えまする者。仏道と魔道とは相さること億万里、お前様のそばへは参られませぬ。
玉虫 それ程わらわがおそろしいか。
雨月
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