たが、わたしはやはり毎日かかさずに入浴した。ここでは越の湯と日の出湯というのに通って、十二月二十二、二十三の両日は日の出湯で柚湯《ゆずゆ》に這入《はい》った。わたしは二十何年ぶりで、ほかの土地のゆず湯を浴びたのである。柚湯、菖蒲湯《しょうぶゆ》、なんとなく江戸らしいような気分を誘い出すもので、わたしは「本日ゆず湯」のビラをなつかしく眺めながら、湯屋の新しい硝子戸《ガラスど》をくぐった。
[#天から3字下げ]宿無しも今日はゆず湯の男哉
二十二日は寒い雨が降った。二十三日は日曜日で晴れていた。どの日もわたしは早く行ったので、風呂のなかはさのみに混雑していなかったが、ゆず湯というのは名ばかりで、湯に浮んでいる柚の数のあまりに少いのにやや失望させられた。それでも新しい湯にほんのりと匂う柚の香は、このごろとかくに尖り勝《がち》なわたしの神経を不思議に和《やわら》げて、震災以来初めてほんとうに入浴したような、安らかな爽かな気分になった。
麻布で今年の正月をむかえたわたしは、その十五日に再びかなりの強震に逢った。去年の大震で傷んでいる家屋が更に破損して、長く住むには堪えられなくなった。家主も建直したいというので、いよいよ三月なかばにここを立退いて、更に現在の大久保百人町に移転することになった。いわゆる東移西転、どこにどう落付くか判らない不安をいだきながら、ともかくもここを仮りの宿りと定めているうちに、庭の桜はあわただしく散って、ここらの躑躅《つつじ》の咲きほこる五月となった。その四日と五日は菖蒲湯である。ここでは都湯というのに毎日通っていたが、麻布のゆず湯とは違って、ここの菖蒲湯は風呂一杯に青い葉をうかべているのが見るから快かった。大かた子供たちの仕事であろうが、青々と湿《ぬ》れた菖蒲の幾束が小桶に挿してあったのも、なんとなく田舎めいて面白かった。四日も五日も生憎《あいにく》に陰《くも》っていたが、これで湯あがりに仰ぎ視《み》る大空も青々と晴れていたら、更に爽快であろうと思われた。
湯屋は大久保駅の近所にあって、わたしの家からは少し遠いので、真夏になってから困ることが出来た。日盛りに行っては往復がなにぶんにも暑い。ここらは勤人が多いので、夕方から夜にかけては湯屋がひどく混雑する。わたしの家に湯殿はあるが、据風呂がないので内湯を焚くわけに行かない。幸《さいわい》に井戸の水は良
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