論おどろいたが、相手も驚いたらしい。大きい鼻息をしたかと思うと、たちまちにひと声高く嘶いた。それがかの怪しい馬であると知ったときに、鉄作は気が遠くなるほどに驚いた。驚いたというよりも、怖ろしさがまた一倍で、彼はもう前後の考えもなく、捉《と》られている女の手を振払って、一目散にもと来た道へ逃げ出したが、暗いのと慌てたのとで方角をあやまって、かの陥し穽に転げ込んだのである。
 そう判ってくると、騒ぎはいよいよ大きくなって、大勢は松明《たいまつ》をふり照らしてそこらを穿索すると、果して道のまん中に次郎兵衛後家のお福が正体もなく倒れていた。お福は介抱してももう生きなかった。横ざまに倒れたところを、かの馬の足で脇腹を強く踏まれたらしい。肋《あばら》の骨がみな踏み砕かれているのを見ても、かの馬がよほど巨大な動物であることが想像されて、人々は顔をみあわせた。
「次郎兵衛後家が海馬にふみ殺された。」
 その噂が又ひろまって、人びとの好奇心は次第に恐怖心に変って来た。海馬だかなんだか知らないが、そんな巨大な怪物に出逢っては敵《かな》わないという恐怖心にとらわれて、その以来はかの馬狩りに加わる者がだんだん
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