秋にしたがって中国に移ったが、やがてその主人は乱心して早死にをする、家はつぶされるという始末に、茂左衛門は二度の主取《しゅど》りを嫌って津山の在《ざい》に引っ込んでしまい、その後は代々農業をつづけて今日《こんにち》に至ったのだそうである。
 神原君の家は、代々の当主を茂左衛門と称しているが、かの茂左衛門基治以来、一種の家宝として大切に伝えられている物がある。それは長さ一尺に近い獣《けもの》の毛で、大体は青黒いような色であるが、ところどころに灰色の斑《ぶち》があるようにも見える。毛はかなりに太いもので、それは人間の手で丁度ひと掴みになるくらいの束《たば》をなしている。油紙に包んで革文庫《かわぶんこ》に蔵《おさ》められて、文庫の上書《うわが》きには「妖馬の毛」と記《しる》されてある。それに付帯《ふたい》する伝説として、神原家に凶事か吉事のある場合にはどこかで馬のいななく声が三度きこえるというのであるが、当代の神原君が結婚した時にも、神原君のお父さんが死んだ時にも、馬はおろか、犬の吠える声さえも聞えなかったというから、この伝説は単に一種の伝説として受取っておく方が無事らしいようである。
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