せつな》に感じたところでは、熊のような長い毛が一面に生えているらしかったというのである。
 その以上のことは判らなかったが、ともかくも一種の怪獣があらわれて、家々の飼馬を恐れさせ、さらに次郎兵衛後家を踏み殺したというのは事実であることが確かめられたので、甚七と市五郎とは満足して引揚げた。城へ帰る途中で、甚七は言い出した。
「しかし貴公、この事をすぐにみんなに吹聴《ふいちょう》するか。」
「それを俺も考えているのだが、むやみに吹聴して大勢がわやわや付いて来られては困る。いっそ貴公とおれと二人でそっと行くことにしようではないか。」
 いかなる場合にも人間には功名心《こうみょうしん》がある。甚七と市五郎も海馬探検の功名手柄を独り占めにしようという下心《したごころ》があるので、結局他の者どもを出しぬいて、二人が今夜ひそかに出て来ることに相談を決めた。
 三月もなかば過ぎて、ここらの春は暖かであった。あたかもきょうは午後から薄陰りして、おそい桜が風のない夕《ゆうべ》にほろほろ散っていた。
「今夜はきっと出るぜ。」
 二人は夜が来るのを待ちかねて、誘いあわせて城をぬけ出した。市五郎は鉄砲を用意して行こうかといったが、飛び道具をたずさえていると門検《もんあらた》めが面倒であるというので、甚七は反対した。二人はただ身軽に扮装《いでた》つだけのことにして、戌《いぬ》の刻《こく》を過ぎる頃から城下の村へ忍んで行くと、お誂《あつら》えむきの暗い夜で、今にも雨を運んで来そうな生温《なまぬる》い南風が彼らの頬をなでて通った。城下であるから附近の地理はふだんからよく知っている。殊に昼のうちにも大抵の見当は付けておいたので、二人は眼先もみえない夜道にも迷うことなしに、目的の場所へ行き着いた。
 どこという確かな的《あて》もないが、怪しい馬は水から出て来るらしいというのを頼りに、二人は多々良川に近いところに陣取って、一本の大きい櫨《はじ》の木を小楯《こだて》に忍んでいると、やがて一|刻《とき》も過ぎたかと思われる頃に、どこからか大きい足音がきこえた。
「来たらしいぞ。」
 二人は息をころして窺っていると、彼らの隠れ場所から十|間《けん》余りも距《はな》れたところに、一つの大きい黒い影の現れたのが水明かりでぼんやりと見えた。黒い影はにぶく動いて水にはいって行くらしかった。つづいて水を打つような音が幾
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