々に介抱して近所の辻番所へ連れて行くと、女房は幸いに正気に復《かえ》ったが、自分にもどうしたのかよくは判らない。ただ眼のさきへ大きい白い蝶が飛んで来たかと思うと、たちまち夢のような心持になってしまって、その後のことは何も知らないと云うのであった。
 以上は世間の噂話を聴いたに過ぎないので、幸之助もくわしい事実を知らないのであるが、ともかくも奇怪な白い蝶が闇夜にあらわれて、往来の人をおびやかしたという噂が彼の注意をひいたのである。その話を終った後に、彼は又云った。
「白い蝶の噂は京橋の実家に居るときから聴いて居りまして、八丁堀の役人たちも内々探索しているとか云うことでございましたが、こうしてみるとやはり本当かと思われます」
「本当でしょう」と、長八もうなずいた。「現にわたしの家《うち》の娘も見たと云います。あなたのお父さまの亡《な》くなられた晩にも、伜の長三郎がそれらしい物を見たとか云います。市川屋の職人も見たことがあると云う。一人ならず、幾人もの眼にかかった以上、それが跡方もないこととは云われますまい」
 とは云ったが、さてそれがどういう訳であるか、長八にも説明することは出来なかった。
前へ 次へ
全165ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング