剃刀《かみそり》で喉《のど》を突き切った。お富がそれを発見した時には、娘はもう此の世の人ではなかった。別に書置らしい物も残していなかったが、その自害の原因が「口惜しい」の一句に尽くされているのは疑うまでもないので、お富も身をふるわせて口惜しがった。
まだ正式の祝言は済ませないでも、幸之助がお勝の婿であることは、組じゅうでも認めている。世間でも認めている。その幸之助と駈け落ちをしたとあれば、お北は明らかに不義密通《ふぎみっつう》である。確かな証拠を握り次第、お富は瓜生の親たちにも掛け合い、組頭にも訴えて、娘のかたき討ちをしなければならないと決心した。
お富が決心するまでもなく、瓜生の家でもそれに対して相当の覚悟をしなければならなかった。長八は妻のお由と伜の長三郎を自分の居間に呼びあつめてささやいた。
「どうも飛んだ事になってしまった。幸之助の家出、お北の家出、それだけならば又なんとか内済にする法もあるが、それがためにお勝までが自害したとあっては、事が面倒になる。黒沼の方ではどういう処置を取るか知らないが、どうも無事には済むまいと思われる。おれ達もその覚悟をしなければなるまいぞ」
「その覚悟と申しますと……」と、お由は不安らしく訊いた。
「おれも侍の端《はし》くれだ。こうなったら仕方がない、一日も早くお北のありかを探し出して、手打ちにして……。その首を持って黒沼の家へ詫びに行かなければ……。さもないと家事不取締りの廉《かど》で、おれの身分にも拘わるからな」と、長八は溜め息まじりで云った。
比較的に武士気質《さむらいかたぎ》の薄い御賄組に籍を置いていても、瓜生長八、ともかくも大小をたばさむ以上、こういう場合にはやはり武士らしい覚悟を決めなければならなかった。
「それで、黒沼の家はどうなるでしょう」と、お由は又|訊《き》いた。
「今度こそは断絶だろうな」と、長八は再び溜め息をついた。「先月の時にも表向きにすればむずかしかったのだが、伝兵衛急病ということにして先ず繋ぎ留めたのだ。それは組頭も知っている。その矢さきへ又今度の一件だ。養子は家出する、家付きの娘は自害する。それではどうにも仕様があるまい」
「いっそ先月の時に、おとなりの家が潰れてしまったら、こんな事にもならなかったのでしょうに……」と、お由は愚痴らしく云った。
「今更そんなことを云っても仕方がない。なにしろ娘
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