は表通りに小さい店を持っていたのであるが、三年前に女房に死に別れて、店のあきないをする者がなくなったので、町内の人々の諒解を得て、店は他人にゆずり自分は露路の奥に引っ込んで、やはり町内の雑用《ぞうよう》を勤めているのであった。
「藤助には娘があったね」と、長三郎は又訊いた。
「お冬という娘がございます」と、源蔵はうなずいた。「明けて十五で、人間もおとなしく、容貌《きりょう》もまんざらでないんですが、可哀そうに、子供の時に疱瘡《ほうそう》が眼に入ったもんですから、右の片眼が見えなくなってしまいました」
「その娘も心配しているだろうね」
「もちろん心配して、お神籤《みくじ》を引いたり、占《うらな》いに見て貰ったりしているんですが、どうもはっきりした事は判らないようです」
 これだけ聞けば、その上に詮議の仕様もないように思われたが、ともかくも藤助の家の様子を一応は見とどけて帰ろうと思い直して、長三郎はその案内をたのむと、源蔵は先きに立って自身番に近い露路のなかへはいった。長三郎もあとに付いて、昼でも薄暗いような露路の溝板《どぶいた》を踏んで行った。
 露路の入口は狭いが、奥には可なりに広いあき地があって、ここら特有の紙漉場《かみすきば》なども見えた。藤助の家にも小さい庭があって、桃の木が一本立っていた。
「ふうちゃん、居るかえ」
 源蔵は表から声をかけたが、内には返事が無かった。三度つづけて呼ぶうちに、その声を聞きつけて、裏の井戸端からお冬が濡れ手を前垂れで拭きながら出て来た。
 お冬は十五にしては大柄の方で、源蔵の云った通り、容貌はまず十人並み以上の色白の娘であった。右の眼に故障があるか無いかは、長三郎にはよく判らなかった。
「お父《とっ》さんのたよりはまだ知れないかえ」と、源蔵は縁に腰をかけて訊いた。
 お冬は無言で悲しそうにうなずいたが、源蔵のうしろに立っている前髪の侍をちらりと視たときに、彼女は慌てたように眼を伏せた。
「この若旦那は瓜生さんと仰しゃって、このあいだ亡《な》くなった黒沼さんのお屋敷の隣りにいらっしゃるのだ」と、源蔵はあらためて長三郎を紹介した。「お前のお父さんに逢って、なにか訊きたいことがあると云うので、ここへ御案内して来たんだが、お父さんがまだ帰らねえじゃあ仕様がねえな」
 お冬はやはり俯向《うつむ》いて黙っていた。藪うぐいすか籠の鶯か、ここでも
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