あいだに、寺僧も手伝って種々介抱に努めたが、伝兵衛の死骸は氷のように冷えて行くばかりであった。
「お気の毒なことでござるな」と、住職ももう諦めたように云った。
 長三郎は無言で溜め息をついた。飛んだことになってしまったと、今夜の企《くわだ》てを今さら悔むような心持になった。しかもそんな愚痴を云っている場合ではない。しょせん蘇生《そせい》の望みがないと諦めた以上、医者の来るのを待っているまでもなく、一刻も早く黒沼の家へ駈け付けて、この出来事を報告して来なければなるまいと思ったので、彼は死骸の番を寺僧に頼んで表へ出た。
 寺では提灯を貸してくれたので、長三郎はそれを振り照らして出たが、風が強いのと、あまりに慌てて駈け出した為に、寺の門を出てまだ三、四間も行き過ぎないうちに、提灯の火はふっと消えてしまった。また引っ返すのも面倒であるので、さきを急ぐ長三郎は暗いなかを足早に辿《たど》って行くと、どこから出て来たのか、突き当たらんばかりに、ひとりの男が小声で呼びかけた。
「あ、もし、もし……」
 不意に声をかけられて、長三郎はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として立ち停まったが、相手のすがたは闇につつまれて見えなかった。
「あのお侍さんは死にましたか」と、男は訊《き》いた。
 なんと答えていいかと、長三郎はすこし躊躇していると、男は重ねて云った。
「あのかたは何と仰しゃるんです」
 長三郎はこれにも答えることは出来なかった。黒沼伝兵衛が往来なかで訳のわからない横死《おうし》を遂げたなどと云うことが世間に洩れきこえると、あるいは家断絶というような大事になるかも知れないのであるから、迂闊《うかつ》な返事をすることは出来ない。殊に心の急《せ》いている折柄、こんな男に係り合っているのは迷惑でもあるので、彼は無愛想に答えた。
「そんなことは知らない」
「お若いかたですか」
「知らない、知らない」
 云い捨てて長三郎は又すたすたと歩き出すと、男は執念深く付いて来た。
「それから、あの……」
 まだ何か訊こうとするらしいので、長三郎は腹立たしくなった。それには云い知れない一種の不安も伴って、彼は無言で逃げるように駈け出した。暗闇を駈けて、音羽の大通りの角まで来ると、彼はまた何者にか突き当たった。
「瓜生さんの若旦那ですか」と、相手は声をかけた。
 それは藤助である。彼の持っている提灯も消えてい
前へ 次へ
全83ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング