は心願《しんがん》が破れると云ってお近は承知しないばかりか、却って幸之助に迫って、お冬らの警戒を命じた。寺門前で藤助を救った覆面の曲者は幸之助であった。しかも気の弱い彼は、いつまでもお近に脅迫されて、こんな仕事にかかり合っているに堪えられなくなったので、その夜のうちに音羽を立ち去って、夜ふけに白魚河岸の実家の門《かど》を叩くと、父の幸右衛門は一切の事情を聞いて、この上はこの屋敷に一と晩も泊めることはならぬ、おれにも考えがあるから、ともかくも向島の五兵衛の家《うち》へ行っていろと指図した。その指図通りに向島へゆくと、あくる日の夕方に今井理右衛門が来た。つづいて瓜生長三郎が来た。岡っ引の吉五郎と兼松が来た。お冬の死と共に、幸之助の運命もここに定まったのである。
 佐藤孫四郎がなぜ自滅したか、この謎は遂に解けなかったが、それに就いて、幸之助はこんなことを洩らした。
「お近はわたくしに向かって、佐藤は長崎にいるあいだにいろいろの悪いことをしている。それをわたしは皆んな知っているから、わたしがどんな我が儘をしても、佐藤は何んとも云うことが出来ない筈だと申したことがございます」
 佐藤は長崎に出役中、役向きのことに就いて何かの不正事件があったらしい。貧乏旗本の彼が内福になったと云うのも、その間の消息を語っている。お近はその秘密を掴んでいるので、佐藤の屋敷内では思うがままに振舞っていたらしい。今度の事件に関連して、その不正が発覚《はっかく》するのを恐れて、佐藤は自滅したのではないかと察せられた。
 火の番の藤助は再び行くえ不明となった。彼を召捕ったならば、事件の真相が更に明瞭になるだろうと、吉五郎らもさまざまに手をまわして探索したが、遂になんの手がかりも無かった。それから三月ほどの後に、八王子の山のなかで彼に似たような縊死者を発見したが、死体はもう腐爛しているので、その人相もはっきりとは判らなかった。八王子は藤助の故郷であるが、どこへも尋ねて行ったという噂はきこえなかった。あるいは何かの係り合いになるのを嫌って、どこでも口を閉じていたのかも知れない。

 この事件の探索に主として働いた岡っ引の吉五郎は、わたしが「半七捕物帳」でしばしば紹介した彼《か》の半七老人の養父である。



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年12月20日
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