廻っている時、かねて諜《しめ》し合わせてあるお八重は闇祭り見物ということにして、息子や番頭や若い者を連れて、大びらで家を出て行く。そうして、しん吉の泊まっている釜屋へ乗り込んで、祭りの暗まぎれに手を取って道行《みちゆき》、すべてが思い通りに運んで、その夜のうちに次の宿《しゅく》の日野まで落ち延びました。しん吉は世間の人に覚られないように、その日の午《ひる》過ぎに釜屋をいったん出立して、暗くなってから又引っ返して来たのです。府中から日野まで一里二十七丁という事になっていますが、女の足弱をつれて夜道の旅だから捗取《はかど》らない。八ツ(午前二時)過ぎにようよう日野の宿に行き着いて、寝ている宿屋を叩き起こして泊まりました。
 きのうは昼も歩き、夜も歩き、その疲れで、お八重は日の高くなる頃に眼をさますと、しん吉のすがたが見えない。お八重は家から百五十両の金を持ち出して、それをしん吉に預けると、男はその金を持って影をかくしてしまったのです」
「なるほど幾次郎とおなじような手ですね」
「そうです、そうです。さては置き去りを喰ったのかと、お八重も初めて気が付いたが、どうする事も出来ない。巾着《きんちゃく》に残っている小遣い銭で、どうにか宿屋の払いをして出たが、今さら江戸へも帰られず、男にだまされたくやしさと、身の振り方に困った悲しさとで、いっそ死のうと思い詰めたのでしょう。それから二、三日は何処をうろついていたか知りませんが、その死骸が、調布の河原へ流れ着きました」
「身を投げたんですね」
「多摩川の深そうな所をさがして、身を投げたのでしょう。一方のしん吉はお八重を置き去りにして、又もや府中に引っ返して来て、吉野屋という女郎屋に隠れていた。と云うのは、その店のお鶴という女に熱くなっていたからです。お八重から巻き上げた金はあり、惚れた女のそばに居て、しん吉はいい心持に浮かれていたのですが、お定まりの痴話喧嘩で、もう帰るとか何とか云って、雨の降るなかへ飛び出したのが因果、丁度わたくしの眼にかかって、忽ち首根っこを押さえられました。やっぱり悪いことは出来ませんね。
 悪いことは出来ないと云えば、伊豆屋のお大といい、和泉屋のお八重といい、どっちも同じような不埒を働いて、同じようなひどい目に逢っている。しかもその場所が同じ府中の宿で、おなじ闇祭りの晩だと云うのも、何かの因縁がありそうで、不
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