があるように思うんですがね。親分もそう思いますか」
 二人の意見は一致したが、さてそれが何者であるかは容易に思い出せなかった。やがて女中が運んで来た膳を前にして、二人は寒さ凌ぎに一杯飲みはじめた。話の邪魔になる女中を遠ざけて、松吉はまた云い出した。
「一体この一件は、まったく小栗の屋敷に係り合いがないんでしょうか」
「用人はなんにも心当たりがないと云っている。首になっている女の顔も曾《かつ》て見たことが無いという。しかしそれが本当だかどうだか判らねえ。そこで此の一件は、まず第一に小栗の屋敷に係り合いがあるか無いかを突き留める事と、もう一つは、なぜあんな碁盤に首を乗せて置いたかと云うことを詮索しなけりゃあならねえ」
「小栗の主人は碁を打つのでしょうか」
「おれもそれを考えたが、用人の話を聞いても、住職の話を聞いても、小栗の主人は碁も将棋も嫌いで、そんな勝負をした例《ためし》は無いと云うのだ」
 小栗家の主人昌之助は三十一歳で、妻のお道とのあいだに、昌太郎お梅の子供がある。昌之助の弟銀之助はことし二十二歳で、深川|籾蔵前《もみくらまえ》の大瀬喜十郎という二百石取りの旗本屋敷へ養子に貰われている。昌之助と銀之助は兄弟仲も悪くない。現に五、六日前にもたずねて来て、夕飯を食って帰ったと、用人は話した。銀之助は碁を打つらしいが、それとても道楽という程ではないとの事であった。
「こうなると、碁盤の方の手がかりはねえようだ」と、半七は云った。「もし小栗の屋敷に係り合いが無いとすれば、どこへか持って行く途中、なにかの故障で小栗の屋敷の前に置き捨てて行ったと鑑定するのほかはねえ。碁盤は重い、その上に人間の首を乗せたのじゃあ、恐らく一人で持ち運びは出来めえ。ひとりは碁盤、ひとりは首、二人がかりで運んで行くにゃあ、余ほどの仔細がなけりゃあならねえが……」
「そうですねえ」と、松吉も首をかしげた。
「なにしろ昼間から錨《いかり》を卸しちゃあいられねえ。早く出かけよう」
 早々に飯を食って、二人はここを出た。風の止んだのを幸いに、亀戸の通りをぶらぶら来かかると、天神橋の袂で、二人づれの女に出逢った。女は柳橋芸者のお蝶と小三である。芸者たちは半七らをみて会釈《えしゃく》した。
「どこへ行く。天神様かえ」と、半七は笑いながら訊いた。
「あしたはお約束で出られないもんですから、繰り上げて今日ご参詣にまいりました」と、お蝶も笑いながら答えた。
 半七は何か思い出したように、お蝶のそばへ摺り寄った。
「だしぬけに変なことを訊くようだが、お俊《しゅん》は相変らず達者かえ」
「あら、御存じないんですか。お俊ちゃんはこの六月に引きましたよ」
「ちっとも知らなかった。誰に引かされて、どこへ行った」
「深川の柘榴伊勢屋の旦那に引かされて、相生町《あいおいちょう》一丁目に家を持っていますよ」
「相生町一丁目……。回向院《えこういん》の近所だね」
「そうです」
「お俊は薄あばたがあったかね」
「いいえ」
 お蝶は小三をかえりみると、彼女もうなずいた。
「お俊ちゃんは評判の容貌《きりょう》好しで、あばたなんかありませんわ」
「そうだな」と、半七もうなずいた。
 芸者たちに別れて歩き出すと、松吉はあとを見かえりながら云った。
「だれの眼も違わねえもので、あの女たちに逢った時に、わっしもふっと思い出しました。例の女は柳橋のお俊に似ていると……。だが、今の話じゃあお俊に薄あばたはねえと云う。おなじ仲間が云うのだから間違いはありますめえ。それを聞いてがっかりしましたよ」
「むむ、おれも当てがはずれてしまった」と、半七は溜め息をついた。「あいつらの顔をみると、急にお俊を思い出して、こりゃあ占めたと思ったが、他人の空似《そらに》でやっぱりいけねえ。柳橋を引いてから疱瘡をしたと云えば云うのだが、例の女の顔はきのう今日の疱瘡の痕じゃあねえ。だが、おれ達の商売に諦めは禁物だ。どうだ、帰り道だから回向院前へ廻って、お俊の様子をよそながら見届けようぜ」
 お俊は相生町一丁目に住んでいるとすれば、小栗の屋敷から三、四丁を隔てているに過ぎない。何ものかがお俊の首をそこまで運んで行くと云うことがないとは云えない。あばたがあろうが無かろうが、ともかくも一度は探索の必要があると半七は思った。松吉は気のないような顔をして、親分のあとに付いて来た。
「回向院前……。回向院前……」と、半七はひとり言のように繰り返した。
 吉良《きら》の屋敷跡の松坂町を横に見て、一つ目の橋ぎわへ行き着いて、相生町一丁目のお俊の家をたずねると、それは竹本駒吉という義太夫の女師匠の隣りであると教えてくれた者があった。
「お俊だけに義太夫の師匠の隣りに住んでいるのか。それじゃあ竪川でなくって、堀川だ」と、半七は笑った。
 しかも二人は笑っていられなかった。たずねるお俊の家はいつか空家《あきや》になって、かし家の札が斜めに貼られてあった。
「やあ、空店《あきだな》だ」と、松吉は眼を丸くした。
「隣りで訊いてみろ」
 松吉は義太夫の師匠の格子をあけて、何か暫く話していたようであったが、やがて忙がしそうに出て来た。
「親分。お俊の家はきのう急に世帯を畳んで、どこへか引っ越してしまったそうです。知らねえ人が来て、諸道具をどしどし片付けて、近所へ挨拶もしねえで立ち去ったので、近所でも不思議に思っていると云うことです。ちっと変ですね」
「引っ越しの時に、お俊は顔を見せねえのか」と、半七は訊いた。
「だしぬけにばたばた片付けに来たので、近所隣りでもよく判らねえのですが、どうもお俊の姿は見えなかったらしいと云うことです。ここらで例の首を見た者はないかと、念のために訊いてみると、その噂を聞いて五、六人駈け着けたが、気味が悪いので誰もはっきりとは見とどけずに帰って来た。なにしろ薄あばたがあると云うのじゃあ、お俊とは違っていると云うのです」
「近所へ挨拶はしねえでも、家主《いえぬし》には断わって行ったろう。家主はどこだ」
「二丁目の角屋《すみや》という酒屋だそうですから、そこへ行って訊きましょう」
 二人は更に相生町二丁目の酒屋をたずねると、帳場にいる番頭は答えた。
「お俊さんの家では二、三日前から引っ越すという話はありました。そこで、きのうの朝、知らない男の人が来て、これから引っ越すとことわって、家賃や酒の代もみんな綺麗に払って行きましたから、わたしの方でも別に詮議もしませんでした。引っ越し先は浅草の駒形《こまかた》だということでした」
「お俊は柳ばしの芸者だったと云うが……」と、半七は訊いた。「その店請人《たなうけにん》は誰ですね」
「お俊さんの旦那は深川の柘榴伊勢屋だそうで、店請はその番頭の金兵衛という人でした」
「お俊さんというのはどんな女でした」
「商売人揚がりだけに、誰にも愛嬌をふりまいて、近所の評判も悪くなかったようです。わたし共の店へ寄って、時々に話して行くこともありましたが、ひどく鼠が嫌いな人で、あの家には悪い鼠が出て困るなぞと云っていました」
 お俊と鼠と、それを結び付けて考えても、差しあたりいい知恵が出そうもないので、ほかに二、三のうわさ話を聞いた後、半七らは角屋の小僧に案内させて、お俊のあき家を一応あらためたが、ここにはなんの獲物もなかった。

     三

「柘榴伊勢屋の亭主は船遊びが好きで、お俊が柳橋にいる頃から、一緒に大川へ出たことがあるそうだと、角屋の番頭が何ごころなくしゃべったのは、天の与えだ」と、半七は歩きながら云った。「これから柳橋へ行って船宿《ふなやど》を調べてみよう。案外の掘出し物があるかも知れねえ」
「だが、親分。例の首はお俊じゃあ無さそうですぜ。誰に聞いても、お俊にあばたはねえと云いますから」
「そりゃあそうだが、まあ、もう少しおれに附き合ってくれ」
 無理に松吉を引き摺って、半七は更に柳橋の船宿をたずねた。
 ここらの船宿は大抵知っているので、その一軒について聞き合わせると、柘榴伊勢屋が馴染の船宿は三州屋であるとすぐに判った。三州屋の店の前には、長半纏を着た若い船頭が犬にからかっていた。
「おい、よしねえよ」と、半七は笑いながら声をかけた。「いい若けえ者が酒屋の御用じゃああるめえし、犬っころを相手に日向《ひなた》ぼっこは面白くねえぜ」
 半七の顔をみて、徳次という船頭は笑いながら挨拶した。
「いいお天気だが寒うござんす。まあ、親分。お上がんなさい」
「いや、上がるまでもねえ。ちょいと店さきで訊きてえことがある」と、半七は店に腰をかけた。「おかみさんは留守かえ」
「ええ、ちょっと出まして」
 徳次は女中に指図して、火鉢や茶を運ばせた。托鉢僧が来かかって、ここの店さきで鉦《かね》をたたいて去るあいだ、半七らは黙って茶を飲んでいた。隣りの二階では昼間から端唄の声がきこえた。
「そこで早速だが、六間堀の伊勢屋はこの頃も出かけて来るかえ」と、半七は訊いた。
「お俊さんと時々に見えます。このあいだも、枯野見《かれのみ》だと云って上手《うわて》までお供をしましたが、いやどうも寒いことで……。枯野見なんて云うのは、今どき流行りませんね。雪見だって、だんだんに少なくなりましたよ」と、徳次は笑った。
「通人《つうじん》が少なくなったのだろう」と、半七も笑った。「おめえなら知っているだろうが、伊勢屋に贔屓《ひいき》の相撲があるかえ」
「ありますよ。万力《まんりき》甚五郎で……」
「万力甚五郎……。二段目だな。たいそう力があるそうだが……」
「力がありますね。まったくの万力で……。近いうちに幕へはいるでしょう」と、徳次は自分の贔屓相撲のように褒め立てた。「伊勢屋の旦那は万力にたいへん力を入れて、本場所は勿論ですが、深川で花相撲のある時なんぞも、毎日見物に出かけて大騒ぎ。万力もいい旦那を持って仕合わせだと、みんなに羨まれていますよ」
「伊勢屋のほかに抱え屋敷はねえのか」
「十万石の抱え屋敷があったのですが、可哀そうにお出入りを止められてしまって、今じゃあ伊勢屋が第一の旦那場です。万力が抱え屋敷をしくじったのも、まあ伊勢屋の為ですから、伊勢屋も猶さら万力の世話をしてやらなけりゃあならない義理もあると云うわけで……」
 ことしの三月、伊勢屋の亭主由兵衛は万力を連れて三州屋へ来たが、花見どきではあり、天気はいいので、大抵の芸者はみな出払って、お馴染のお俊も家にいなかった。しかし前からの約束でもないので、由兵衛はそれをかれこれ云うほどの野暮《やぼ》でもなかった。ほかの芸者二人と万力とを連れて、屋根船を徳次に漕がせて大川をのぼった。向島から堤《どて》へあがって、今が花盛りの桜を一日見物して、日の暮れる頃に漕ぎ戻って来ると、あいにくに桟橋のきわには二、三艘の船が落ち合って、伊勢屋の船を着けることが出来ない。船頭同士が声を掛け合って、伊勢屋の一行は前の船の舳《とも》を渡って行くことになった。
 由兵衛と芸者ふたりは挨拶して先きに渡ったが、最後に出た万力甚五郎は、船のなかを横眼で視ただけで、なんの挨拶もせずに渡り過ぎようとした。その船には二人の侍と一人の芸者が乗っていたが、花見帰りであるから皆酔っていたらしく、侍のひとりは声をかけて、挨拶をして行けと云った。それでも万力は知らぬ顔をして行き過ぎて、今や桟橋へと足を踏みかけた途端に、ひとりの侍は衝《つ》と寄ってきて、万力の腰の刀を鞘ぐるみ引き抜いた。そうして、自分の船の船頭にむかって、早く出せと呶鳴った。
 呶鳴られて船頭は棹《さお》をとった。混み合っている中であるから、思うように棹を張ることは出来なかったが、それでも一間ほどは横に開いたので、桟橋に取り残された万力はあっ[#「あっ」に傍点]と驚いた。腰の物を取られたからである。
 武士は勿論、力士が腰の物を取られるのも、決して名誉のことではなかったが、更に万力をおどろかしたのは、その刀は十万石の抱え屋敷から拝領の品であった。それを失っては、屋敷へ出入りすることが出来なくなる。それを思うと、万力は顔の色を変えてうろたえた。あっ[#「あっ」に
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