と云い触らす者もありましたが、ともかくも地蔵さまはもう踊らないという噂が立ったので、参詣人もぱったりと絶えてしまいました。すると、ここに又ひとつの事件が出来《しゅったい》しました」
「どんな事件が……。やはり高源寺に起こったんですか」
「そうですよ」と、老人はうなずいた。「八月二十四日の朝、小石川|御箪笥町《おたんすまち》に屋敷を持っている、今井善吉郎という小旗本の中間《ちゅうげん》武助が何かの用で七ツ半(午後五時)頃に、この高源寺門前を通りながら、何心なく地蔵堂をのぞくと、薄暗いなかに人らしい姿が見える。近寄ってよく見ると、ひとりの女が縛られている。女は荒縄で厳重に縛られているのです」
「縛られ地蔵に女が縛られている……。面白いですね」
「面白いどころじゃない。女はもう死んでいるらしいので、武助もおどろきました。しかし自分は先きを急ぐので、そんな事にかかり合ってはいられない。丁度に表の戸を明けかかった近所の酒屋の若い者にそれを教えて、自分はそこを立ち去りました。さあ大騒ぎになって、近所の人達が駈けあつまると、女は十九か二十歳《はたち》ぐらい、色白の小綺麗な娘ですが、見るからに野暮な田舎娘のこしらえで、引っ詰めに結った銀杏返《いちょうがえ》しがむごたらしく頽《くず》れかかっていました。まったくあなたの云う通り、縛られ地蔵に女が縛られていて、しかもそれが死んでいると云うのですから、普通の変死以上にみんなが騒ぎ立てるのも無理はありませんでした」

     二

 寺門前の出来事であるから、高源寺から寺社方へ訴え出て、係り役人の検視を受けたのは云うまでもない。女は縊《くび》られて死んだのである。その死体は石地蔵をうしろにして、両足を前に投げ出し、あたかも地蔵を背負ったような形で、荒縄を幾重にも捲き付けてあった。その縄が彼女の首にもかかっていたが、それで絞め殺されたのではなく、すでに絞め殺した死体を運んで来て、縛られ地蔵に縛り付けたものであることは、検視の役人にも推定された。
 この場合、女の身もと詮議が第一であるが、高源寺ではそんな女をいっさい知らないと答えた。近所の者もそれらしい女の姿を見かけた事はないと申し立てた。その風俗をみても、江戸の者でないらしい事は判っていた。女は木綿の巾着《きんちゃく》にちっとばかり小銭《こぜに》を入れているだけで、ほかに証拠となるような品
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