「お話は先ずここらでお仕舞いでしょう」と、半七老人はひと息ついた。「事件はちょいと面白いのですが、わたくし共の捕物の方から云えば、たいして面倒な事もありませんでした」
「これに幾らかの潤色を加えると、まったく面白い小説になりそうですね」と、私は云った。
「なにぶん実録は、小説のように都合よく行きませんからね。こうすれば面白くなるだろうと云って、まさかに嘘をまぜる訳にも行かず、まあ其のつもりで聴いて頂くよりほかありません」と、老人は笑った。「いや、まだ少し云い残したことがあります。かのお歌の一件について……」
「わたしもそれを訊《き》こうと思っていたんです。お歌はそれからどうしました」
「さあ、お歌がそれからひと働きしてくれると、小説にも芝居にもなるのですが、そこが今申す通りの実録で……。お歌はその後しばらく姿を見せませんでしたが、その翌年の五月、詰まらない小ゆすりで挙げられて、それからいろいろの旧悪があらわれて遠島になりました。わたくしが捕ったので無いので詳しいことは知りませんが、お歌はふところに俊乗の数珠を持っていたと云いますから、よっぽど俊乗のことを思っていたに相違ありません。
 遠島といえば、高源寺の住職も遠島、他は追放、これでこの一件も落着《らくぢゃく》しました。住職も弟子たちもみんな悪い人間ではなかったのですが、いったん悪い方へ踏み込むと、もう抜き差しが出来なくなって、だんだん深淵《ふかみ》に落ちて行く。取り分けて俊乗などは、いい寺にいたらば相当の出世が出来たのかも知れません。それを思うと可哀そうでもあります」
「石屋の松蔵はどうなりました」
「高源寺の噂を聞くと、こいつはすぐに影を隠しました。草鞋を穿いて追っかけるほどの兇状でもないので、まあ其のままに捨て置きましたが、あとで聞くと木更津《きさらづ》の方で変死したそうです。同職の石屋を頼って行って、そこで働いているうちに、その石屋で大きい石地蔵をこしらえる時、どうしたわけか其の地蔵が不意に倒れて、松蔵は頭を打たれて死んだと云うのです。なんだか因縁話のようで、嘘か本当かよく判りませんが、まあそんな噂でした。
 高源寺はその後、廃寺になってしまって、今では跡方もなくなりましたが、一方の林泉寺の縛られ地蔵は昔のままに残っています。明治以後は堂を取り払って、雨曝《あまざら》しのようになっていますが、相変らず
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