か内輪に係り合いのある奴に相違ねえ。そのつもりで探《さぐ》りを入れたら、手がかりが付きそうなものだと思うが……」
「そうですね」と、勘太はうなずいた。「成程こりゃあ内輪の機密を知っている奴らに相違ありません。好うござんす。そのつもりで探ってみましょう」
「まあ、おれも一緒に行ってみよう。どうでもう開帳は仕舞った時刻だ。ゆう飯でも食って、それから出かけよう」
二人は夕飯を食って、暮れ六ツを過ぎた頃から竜土の家を出た。その頃の麻布は大かた武家屋敷で、場末には百姓地もまじっていた。笄橋を渡って、いわゆる渋谷へ踏み込むと、普陀山《ふださん》長谷寺の表門が眼の前にそびえていた。寺は曹洞派の名刹《めいさつ》で、明治以後は大いに寺域を縮少されたが、江戸時代には境内二万坪にも近く、松、杉、桜の大樹が枝をかわして、見るから宏壮な古寺であった。
大きい寺には門前町があるが、ここにも門前の町屋《まちや》が店をならべて、ふだんも相当に賑わっているところへ、今度の開帳を当て込んで急拵えの休み茶屋や、何かの土産物を売る店なども出来たので、ここらは場末と思われない程に繁昌していた。開帳は夕七ツ限りであるから、参詣人はみな散ってしまって、境内はもうひっそりとしているが、門前町はまだ何かごたごたして、灯の明るい店では女の笑い声もきこえた。
兼松は桐屋という花暖簾をかけた茶店へはいった。
「まだ店はあるのかえ」
「どうぞお休み下さい」と、若い女が愛想《あいそ》よく迎えた。
勘太もつづいてはいった。二人は床几に腰をかけて、茶をのみながら開帳の噂をはじめた。
「今度は大当たりだそうだな」と、兼松は笑いながら云った。
「時候がいいのに、お天気がよいので、たいそうな御参詣でございます」と、女も笑いながら答えた。「本所深川や浅草の遠方からも随分お詣りがあるようです」
「奉納物のなかで、銭の兜というのが評判だそうだが……」
「ええ。あの兜はほんとうに好く出来ていると云って、どなたも感心しておいでです」
「毎日飾ってあるのかえ」
「どういう訳だか知りませんが、それがきょうは飾ってなかったそうで……。わざわざお出でになって、力を落としてお帰りになった方《かた》もございます」
「なぜ引っ込ませたのだろう」と、勘太は空とぼけて訊いた。
「さあ、なぜでしょうか」と、女も首をかしげていた。「そのことでいろいろの噂もありますが……。何かお寺社の方からお指図があったのだそうで……」
二人はいろいろにカマをかけて訊いてみたが、兜の金銀紛失のことは飽くまでも秘密にしてあるらしく、茶屋の者らも知らないようであった。店もそろそろ仕舞いにかかる時刻に、いつまで邪魔をしてもいられないので、兼松は茶代を置いて表へ出ると、ひとりの女が摺れ違って通りかかったが、また何か思い直したように引っ返して、寺の門をくぐって行った。
「あの女を知らねえか」と、兼松は訊いた。
「知りませんな」と、勘太は見送りながら答えた。「年ごろは二十五、六、小股の切れあがった、野暮でねえ女だが……。ここらの人間じゃあありませんね」
「開帳だからいろいろの奴も来るだろうが、今頃あんな女が寺へはいるのはおかしい。まさかに坊主をたずねて来たわけでもあるめえ」
兼松に頤《あご》で指図されて、勘太はすぐに女のあとを尾《つ》けて行くと、女は普陀山の額《がく》をかけた大きい門をはいって、並木を横に見ながら急ぎ足にたどって行った。物に馴れた勘太は並木のあいだを縫って、覚られないように忍んでゆくと、右側に夜叉神堂がある。女はその石燈籠の前に立って、おぼろ月にあたりを見まわした。
長谷寺参詣の人は知っているであろうが、夜叉神堂はこの寺の名物である。夜叉神は石の立像《りつぞう》で、そのむかし渋谷の長者《ちょうじゃ》の井戸の底から現われたと伝えられている。腫れものに効験ありと云うのであるが、その他の祈願をこめる者もある。いずれにしても、ここに参詣する者は張子《はりこ》の鬼の面を奉納することになっているので、古い面が神前の箱に充満している。何かの願《がん》掛けをする者は、まずその古い面をいただいて帰って、願望成就か腫物平癒のあかつきには、そのお礼として門番所から新らしい面を買って奉納し、あわせて香華《こうげ》を供えるのを例としている。その古い面は一年に二回焼き捨てるのであるが、それでも多数の参拝者があるために、鬼の面はいつでもうず高く積まれていた。
女は幾たびか左右に眼をくばって、堂の前に進み寄ったかと思うと、やがて神前の大きい箱に手をさし入れて、古い鬼の面をかきのけているらしい。どうするのかと勘太は桜の木蔭《こかげ》から窺っていたが、あいにく向きが悪いので、女の手もとは判らない。勘太は焦《じ》れて木かげから少しく忍び出ると、女は勘が早かった。
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