ちになりました。その金蔵がどうして三甚の手にかかったかと云うと、ここにちょっと艶《つや》っぽいお話があるのです。
前にも申す通り、二代目の甚五郎、年も若く腕も未熟ですが、小粋な柄行きで男っ振りも悪くない。岡っ引なんていうものは、とかくいやな眼付きをして、なんだかぎすぎすした人間が多いのですが、この甚五郎は商売柄に似合わず、人柄がおとなしやかに出来ている。親父の株があるので、小銭《こぜに》も廻る。そこで、いつの間にか神明前のさつき[#「さつき」に傍点]という小料理屋のお浜という娘と出来てしまって、始終そこへ出這入りをしている。お浜のおふくろも勿論それは承知していたのです。
すると、或る日のこと、この神明のあたりを地廻りのようにごろ付いている千次という奴がさつきの帳場へ来て、幾らか強請《ゆす》りました。毎度のことですから、おふくろのお力《りき》が頭から刎《は》ね付けると、千次が云うには、きょうは唯来たのじゃあねえ、大事の魚《さかな》を売り込みに来たのだから、お前さんから三甚さんに話して、いい値に買って貰いたいと云う。そこで、だんだん訊いてみると、本石町無宿の金蔵がここらに立ち廻っていると云うのです。こうなると、娘の色男に手柄をさせたいのは人情ですから、お力は甚五郎を呼んで来て、千次と三人で打ち合わせた上で、千次は金蔵を誘ってさつきへ連れ込む。しかしここですぐに召捕っては、店にも迷惑がかかりますから、金蔵が酔って表へ出るのを待っていて、半丁ほど行き過ぎたところで、甚五郎とその子分二人が御用の声をかけました。こうすれば、行き合い捕りと云うことになって、誰にも迷惑はかかりません。密告者の千次も知らん顔をしていられるわけです。
金蔵もなかなか手強《てごわ》い奴でしたが、酔っているところを不意に押さえられたので、どうすることも出来ない。ここで脆《もろ》くも縄にかかってしまいました。これで三甚は思いも寄らない手柄をしたのですが、自身番へひかれて行った時に、金蔵はたいそう口惜《くや》しがって、どうでおれは遠島船を腰に着けている人間だから、遅かれ早かれ御用の声を聞くのは覚悟の上だが、いざお縄にかかるという時には、江戸で一、二といういい顔の御用聞きの手に渡る筈だ。こんな駈け出しの青二才の手柄にされちゃあ、おれは死んでも浮かばれねえ。こん畜生、おぼえていろ。おれが生きていればきっと仕返しをする、死ねば化けて出る、どっちにしても唯は置かねえから覚悟しろと、おそろしい顔をして散々に呶鳴ったそうです。
いわゆる外道《げどう》の逆恨《さかうら》みと、もう一つには自棄《やけ》が手伝って、口から出放題の啖呵《たんか》を切るのは、こんな奴らにめずらしくない事で、物馴れた岡っ引は平気でせせら笑っていますが、なにを云うにも甚五郎は年が若い、その上に人間がおとなしく出来ているので、そんな事を聴くと余りいい心持はしない。といって、勿論こいつを免《ゆる》すことは出来ませんから、形《かた》のごとく下調べをして、大番屋へ送り込んでしまいました。
そんなわけで、三甚は本石町の金蔵を召捕って、自分の器量をあげた代りに、なんと無くその一件が気にかかって、死罪か遠島か、早く埒が明いてくれればいいと、心ひそかに祈っている。ましてさつきのおふくろや娘は、ひどくそれを気にかけて、万一かの金蔵が仕返しにでも来たら大変だと心配している。そのうちに伝馬町の牢破り一件が起こって、その六人のなかに本石町無宿の金蔵もまじっていると云うのを聞いて、甚五郎もひやりとしました。牢をぬけて何処へ行ったか知らないが、なんどき仕返しに来ないとも限らない。それを思うと、いよいよ忌《いや》な心持になりました。
こっちは役目で罪人を召捕るのですから、それを一々恨まれてはたまらない。罪人の方でもそれを承知していますから、こっちが特別に無理な事でもしない限り、どんな悪党でも捕り手を怨むということはありません。したがって、捕り手に対して仕返しをするなどという例は滅多にない。それは三甚も承知している筈ですが、気の弱い男だけに、なんだか寝ざめが好くない。しかし仮りにも二代目の三甚と名乗っている以上、子分の手前に対しても弱い顔は出来ませんから、自分ひとりの肚《はら》のなかでひやひやしている。こうなると、まったく困ったものです。勿論、この甚五郎がしっかりしていて、もう一度その金蔵を召捕りさえすれば何のこともないのですが、そうは行かないので此のお話が始まるのです。まあ、そのつもりでお聴きください」
二
この「捕物帳」を読みつづけている人々は定めて記憶しているであろう。この年の四月、半七はかの『正雪の絵馬』の探索に取りかかっていたのである。そのあいだに、この牢破りの一件が出来《しゅったい》して、人相書までが廻っ
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