《よ》りかかって、何心なく水の上をながめている時、誰か抜き足をして忍んで来るような気配を感じたので、油断のない彼はすぐに見かえると、人の背ほどに高い躑躅《つつじ》のかげから、一人の男が不意に飛んで出て半七の腕を捉えた。
「御用だ。神妙にしろ」
半七はおどろいた。
「おい、いけねえ。人違げえだ」
云ううちに又ひとりが現われて、これも半七に組み付いた。
「違うよ、違うよ」と、半七はまた呶鳴った。
「なにを云やあがる。御用だ、御用だ」
二人は無二無三に半七を捩《ね》じ伏せようとするのである。もう云い訳をしている暇もないので、半七は迷惑ながら相手になるのほかはなかった。それでも続けてまた呶鳴った。
「おい、違うよ、違うよ。おれは半七だ、三河町の半七だ」
「ふざけるな。人相書がちゃんと廻っているのだ」と、二人は承知しなかった。
ひとりに頭髻《たぶさ》をつかまれ、一人に袖をつかまれて、半七もさんざんの体《てい》になった。おとなしく縛られた方が無事であると知りながら、一杯機嫌の半七は癪にさわって相手をなぐり付けた。手向いをする以上は、相手はいよいよ容赦しない。一人は半七のふところへはいって、うしろの柳の木へぐいぐいと押し付けた。一人は早縄を半七の手首にかけた。
「馬鹿野郎、明きめくら……。人違げえを知らねえか」
いくら呶鳴っても、相手は肯《き》かない。店の方からも加勢として、亭主や料理番や、近所の男らしいのが五、六人駈け集まって来た。こうなっては所詮かなわない。三河町の半七、多勢に押さえ付けられて、とうとうお縄を頂戴した。
「ざまあ見やがれ」と、男のひとりは勝ち誇るように云った。
「おれたちに汗を掻かせやがって……。この野郎、引っぱたくから、そう思え」と、他のひとりも罵った。
引っぱたかれては堪らないので、半七も素直にあやまった。
「まあ、堪忍してくれ。神妙にするよ」
「そんなら、なぜ始めから神妙にしねえ。どうで首のねえ奴だ。生きているうちに、ちっと痛てえ思いをして置け」と、一人がまた罵った。
「首のねえ奴……。一体おれを誰だと思っているのだ」
「知れたことだ。石町無宿の金蔵よ」
半七は呆気《あっけ》に取られたが、やがてにやにやと笑い出した。
五
半七を縛ったのは、ここらを縄張りにしている戸塚の市蔵の子分らであった。神田と戸塚と距《はな》れていても、古参の子分ならば半七の顔を見識っているのであったが、あいにく古参の連中は居合わさず、駈け出しの若い者ばかりが飛んで来たので、こんな間違いが出来《しゅったい》したのであった。
さつきの女房の云った通り、この白井屋ではお浜と甚五郎を預かっていたのであるが、きのうの夕方、戸塚の市蔵の子分が来て、牢抜けの金蔵が此の頃ここらに立ち廻っているという噂がある。ここの家は客商売であるから、金蔵のような奴がはいり込まないとは限らない。それらしい奴を見たらばすぐに内通しろと云って、彼の人相書を見せて行った。それを聞いて、白井屋では心配した。
金蔵はなんの為にここらを徘徊しているのか。もし三甚のあとを尾《つ》けて来たのならば、大いに警戒しなければならないと云うので、さらに甚五郎らを近所の植木屋に忍ばせると、その翌日、あたかも半七がたずねて来たのである。こんにちと違って、その頃の高田あたりは江戸の田舎であるから、半七の名も知らず、顔も識らない。その半七が頻りに三甚らの詮議をするので、白井屋の亭主は一種のうたがいを起こした。殊に金蔵がここらに立ち廻るという噂を聞いている矢先きであるだけに、金蔵がいい加減の名を騙《かた》ってここへ押し掛けて来たのではないかと疑ったのである。
もう一つ、間違いの種となったのは、半七と金蔵とが年頃といい、人相や格好までが可なりに似通っていることであった。その時代の人相書などは極めて不完全なものであるから、疑いの眼をもって見れば、鷺を烏と見誤るようなことが無いとは云えなかった。雑司ヶ谷から帰って来た白井屋の女房は、遠目《とおめ》に半七をうかがって一途《いちず》にそう信じた。亭主も同じ疑いを懐《いだ》いていたので、夫婦は相談の上で戸塚の市蔵に密告した。
市蔵がすぐに出て来れば、もちろん何の間違いも起こらなかったのであるが、市蔵も留守、古参の子分も留守、そこに居合わせた若い子分二人があっぱれの功名手柄をあらわすつもりで、すぐに駈けつけて来た。相手は牢抜けの大物であると云うので、場馴れない彼等は少しく逆上《のぼ》せ気味で、なんの詮議もなしに召捕ろうとしたのである。科人が人違いと誤魔化すのは珍らしくないので、いかに半七が人違いと呶鳴っても、彼等は耳にもかけずに押さえ付けたのである。
数ある捕物のうちには、人違いの仕損じもしばしばある。しかも同商売の岡っ引を縛って勝
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