おびき寄せ、藤吉ぐるめに召捕るという手だてが無いでもない。
「おれが出しゃばるのも好くねえが、年の若けえ三甚だけじゃあ何だか不安心だ。あしたは芝口へ出かけて行って、なんとか知恵を貸してやろう。ここでうまく金蔵を召捕りゃあ三甚も二度の手柄になるというものだ」
三
その明くる朝は雨も止んだが、まだ降り足らないような空模様であるので、半七は邪魔になる雨傘を持って芝口へ出向いた。
三甚の家は江戸屋という絵草紙屋の横町の左側で、前には井戸がある。その格子をあけて案内を乞うと、内から若い子分が出て来た。こちらではその子分の顔を識らなかったが、相手は半七を見識っていて丁寧に挨拶した。
「三河町さんでございますか。まあ、どうぞこちらへ」
「親分は内かえ」
「へえ」と、子分はあいまいに答えた。
その応対の声を聞いて、またひとりの子分が出て来た。それは石松といって、半七の家へも二、三度は顔を見せた男であった。
「親分にちょいと逢いてえのだが……」と、半七はかさねて云った。
「へえ」と、石松もなんだかあいまいな返事をして、若い子分と顔をみあわせていた。
「留守かえ」
「へえ」
「どこへ出かけた。御用かえ」
「いいえ」
なにを訊いてもぬらりくらりとしているので、半七は入口に腰をおろした。
「おめえ達も知っているだろうが、先月の二十三日に牢抜けをした奴がある。その事について少し話してえのだが、親分が留守じゃあ仕様がねえ。いつごろ帰るか判らねえかね」
「へえ。実は町内の人に誘われまして……」と、石松はもじもじしながら云った。「講中《こうちゅう》と一緒に身延《みのぶ》へ御参詣にまいりました」
「成程ここは法華《ほっけ》だね。身延まいりは御信心だ。そうして、いつ立ったのだね」
「きのうの朝、立ちました」
「それじゃあすぐには帰るめえ」
「帰りは富士川下りだと云っていました」
「ことしの正月に、石町の金蔵を捕りに行ったのは、誰だね」と、半七は訊いた。
「あのときに親分と一緒に行ったのは、駒吉とわたくしです」と、石松は答えた。
「金蔵というのはどんな奴だ」
「三十二、三で色のあさ黒い、痩せぎすな奴です。屋根の上の商売をしていただけに、身の軽い奴だそうで、番屋に連れて行かれた時にも、おれは酔っていたから手めえ達につかまったのだ。屋根の上へ一度飛びあがりゃあ、それからそれへと屋根づたいに江戸じゅうを逃げて見せるなんて、大きなことを云っていました」
その捕物の前後の話などを聞いて、半七は一旦ここを出ると、傘はいよいよお荷物になって、薄い月影が洩れて来た。ここまで来たついでに神明前をたずねてみようと、彼は雨あがりのぬかるみを踏んで、さつきの門口《かどぐち》へ行き着くと、小さい暖簾をかけた店の右側に帳場がある。その前に腰をかけていた男が立ち上がった。
「じゃあ、どうしてもいけねえと云うのかえ」
内の返事はきこえなかったが、男は嚇《おど》すように云った。
「じゃあ仕方がねえ、この先き、何事が起こっても俺あ知らねえ。その時になって恨みなさんな」
暖簾をくぐって出る男の前に、半七は立ち塞がった。
「兄い。ちょいと待ってくれ」
「誰だ、おめえは……」と、男は眼を三角にして半七を睨んだ。
「おめえは千次さんじゃあねえか」
「ひとの名を訊く前に、自分の名を云え。それが礼儀だ」
「礼儀咎めをされちゃあ名乗らねえわけにも行かねえ。わっしは三河町の半七だ」
半七と聞いて、男は俄かに顔の色をやわらげた。彼は衣紋《えもん》を直しながらおとなしく挨拶した。
「やあ、三河町の親分でしたか。お見それ申して、飛んだ失礼をいたしました。わっしは神明の千次でごぜえます」
「そうらしいと思った。まあ、こっちへ来てくれ」
半七は彼を引っ張って、五、六間さきの質屋の土蔵の前へ連れ出した。千次はなんだか落ち着かないような顔をしていたが、それでも素直に付いて来た。
「今聞いていりゃあ、おめえはさつきの帳場で何だか大きな声をしていたじゃあねえか。喧嘩でもしたのかえ」
「おまえさんに聞かれるとは知らねえで……」と、千次は頭をかいた。「どうかまあお聞き流しを願います」
彼がどんなことを云っていたのか、半七は実は知らないのであるが、いい加減にばつ[#「ばつ」に傍点]をあわせて云った。
「むむ、どうもおめえの方がよくねえようだな」
「相済みません。どうぞ御勘弁を願います」と、千次は又あやまった。
見たところ彼はそれほど悪党でもなく、所詮《しょせん》は地廻りの遊び人に過ぎないらしい。半七は笑いながら云った。
「ただ御勘弁と云っても、むむ、そうかとばかりも云っていられねえ。どうも此の頃はおめえの評判がよくねえからな。ともかくもそこらの番屋まで来て貰おうか」
嚇されて、千次はいよいよ慌てた。
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