膿んで来て身動きも出来なくなってしまったのです。したがって、金蔵は牢ぬけ以来、一度も表へ出たことは無いのです」
「それじゃあ高田へ行ったのは……。藤吉ですか」
「そうです、そうです。藤吉は牢内にいる時から金蔵と仲が良かったのです。一人は上方者《かみがたもの》、ひとりは江戸っ子ですが、不思議に二人の気が合って、これから一緒に京大阪へ行ってひと稼ぎしようと約束していたので、藤吉は金蔵を捨てても行かれず、そばに付いて看病していたのです。そのあいだに、金蔵が例の三甚の事を云い出して、あんな青二才に縄をかけられたのが残念でならない、行きがけの駄賃にあの野郎を眠らせてやろうと思っていたのに、こうなっちゃあ思いが達《とど》かねえと愚痴をこぼした。藤吉はそれを聞いて、兄弟分のよしみに、おれが名代《みょうだい》を勤めてやろうと云うので、こいつが金蔵に代って、三甚を付け狙うことになったのです。
そういうわけで、どっちにしても三甚は狙われていたのですが、その相手は金蔵でなかったのです。前にも申す通り、むかしの人相書などはいい加減なもので、顔に痣《あざ》があるとか、傷があるとか云うような、いちじるしい特徴があれば格別、その年頃が同様であれば大抵の悪党には当てはまるようなのが多いのです。殊に今度の牢ぬけは一度に六人と云うのですから、牢屋の方でも一々詳しくは書き分けられません。そのなかで丹後村無宿の兼吉が一番の年上で四十三、惣吉と松之助と勝五郎はみんな二十四、五、藤吉が三十二というので、藤吉と金蔵は年頃も似ている上に、人相書もあまり違わないので、とかくに間違いが出来たのです。
もう一つ、誰の考えも同じことで、藤吉は上方の奴だから京大阪へ高飛びしたものと見て、その方へ手をまわして詮議する。金蔵は江戸の奴だから江戸に隠れているだろうと思って詮議するのが普通で、誰も彼も金蔵にばかり眼をつけて、藤吉の方を忘れている。そんなわけで、人相書も当てにはならない。間違えば間違うもので、金蔵が藤吉となり、藤吉が半七となって、わたくしが先ず第一にお縄頂戴……。いくら昔でもこんな間違いはまあ珍らしい方で、わたくしの人相が悪かったと諦めるのほかはありません。
金蔵は強情にシラを切って、藤吉のありかを白状しませんでした。門蔵もなかなか口を割らない。最初は金蔵と一緒に隠れていたが、この頃はどこへか巣を変えたらしいの
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