三甚の隠れ家を訊くと、今度は亭主も安心して正直に教えた。お浜と甚五郎はここから一丁ほども距れた植木屋新兵衛という者の家に忍んでいるのであった。
 馬場に近いところには町屋《まちや》も続いているが、それが切れると一面の田畑である。そこらには蛙の声がみだれてきこえた。夏の日が落ちても、あたりはまだ薄明るい。半七は迷うことも無しに、植新の門口《かどぐち》へ行き着いた。
 門に大きい柳が立っている。それを目じるしに立ち寄ろうとして、半七は俄かに立ちどまった。どこから出て来たか知らないが、自分と同じ年頃らしい一人の男がひと足さきに来て、その門口に突っ立っているのであった。ここらの植木屋は厳重に垣を結わないで、表が植木溜めになっているのが多い。半七はその植木溜めの八つ手の葉かげに隠れて、男の挙動をうかがっていると、彼はしばらく内を覗いていたが、やがて柳の下をくぐってはいった。半七も抜き足をして其のあとを尾《つ》けた。
 唯の家と違って、こういう時には植木屋は都合がいい。半七はそこらに雑然と植えてある立ち木のかげに隠れながら、男のあとに付いてゆくと、彼は入口の土間に立って声をかけた。
「ごめんなさい」
「はい、はい」
 内からは女房らしい女が出て来た。
「こっちに芝口の三甚が来ているね」と、男は馴れなれしく云った。
「いいえ」
「隠しちゃあいけねえ」と、男は笑った。「ちょいと三甚に逢わせてくれ。おれは三河町の半七だ」
 半七はおどろいた。それと同時に、この偽者《にせもの》の正体も大かたは判った。半七は息を殺して窺っていると、偽の半七は又云った。
「三甚は神明前のさつきの娘と一緒にここに来ているだろう。それまで知っているのだから、胡乱《うろん》の者じゃあねえ。三河町の半七といえば、三甚もよく知っている筈だ、ちょいと呼んでくれ」
 女房がまだ躊躇しているので、男は焦れ出した。
「まだ判らねえのか。おれは半七だよ。三河町の半七だよ」
「うるせえな。半七はここにいるよ」と、半七は男の前にずっと出た。
 男はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として半七を見かえったが、彼もさすがに眼がはやい。たちまちに身をひるがえして、そこらの植木溜めの中へ飛び込んだかと思うと、枝をくぐり、葉をかき分けて、飛鳥のごとく表へ逃げ出した。半七もつづいて追って出たが、もう其の頃は往来もだんだんに薄暗くなっていた。
 こ
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