に話していた。それにしても一応の意見を加えて自宅へ戻らせるのが当然であるが、お高はお霜に味方して、当分はわたしの家に隠れていろと云った。
心あたりを探し尽くして、もしやとここへ尋ねて来た要作は、女房のすがたを見いだして呶鳴りつけた。お霜も負けずに云いかえした。お高もお霜の加勢をした。女ふたりに云い込められて、逆上《のぼ》せあがった要作は、女房の髪をつかんで滅茶苦茶になぐった。お霜も嚇《かっ》とのぼせて、いっそ死んでしまおうと川端へ飛び出したのである。その頃の大川は身投げの本場であった。
その留め男が半七であると判って、要作もお高も恐縮した。濡れた着物を拭くやら、汚れた足を洗わせるやらして、彼等はしきりに半七にあやまった。
「いや、あやまる事はねえ。そこで、番太のかみさん。おめえにもう一度訊きてえことがある」
半七はお霜を二階へ連れてあがると、そこは三畳と横六畳のふた間で、座敷の床の間には杜若《かきつばた》が生けてあった。東向きの縁側の欄干を越えて、雨の大川が煙《けむ》って見えた。その六畳に坐って、彼はお霜と差し向かいになった。
「もうひと足の所でおめえはどぶんを極めるところだった。それを助けた半七はまあ命の親というものだろう」と、半七は笑いながら云った。「命の親に嘘を云うのは良くねえことだ。これからは正直に返事をしてくれねえじゃあいけねえよ」
「はい」と、お霜は散らし髪の頭を下げた。
「いいかえ。嘘を云わねえ約束だよ」と、半七は念を押した。「おめえはこの間、おれに嘘をついたね」
「いいえ、そんな」
「下に来ているのは子分の亀吉という奴で、実はきのう川越から帰って来たのだ。おれの方でもひと通りは調べてある。おめえはおれに隠しているが、弟のゆくえを知っているのだろうな。きょうは花川戸のお葉のところへも廻って来て、その帰り道で丁度におめえに逢ったのだ。さあ、正直に云ってくれ。おれの方から云って聞かせてもいいが、それじゃあおめえの為にならねえ。おめえの口から正直に種を明かして、このあいだ嘘をついた罪ほろぼしをした方がよかろうぜ。それとも何処までも強情を張って、嘘を云い通すのか」
気嵩《きがさ》のようでも根が正直者のお霜である。かま[#「かま」に傍点]をかけられて恐れ入ったらしく、さっきから下げている頭を畳に摺りつけた。
「恐れ入りましてございます」
「次郎兵衛はその後におめえの家《うち》へ立ち廻ったな」
「はい。二十七日の宵に忍んで参りました」
「そうして、どこへ行った」
「どうしても江戸にはいられない。といって、村へ帰ることも出来ない。相州大磯の在に知り人があるから、一時そこに身を隠していると申しますので、亭主には内証で少々の路用を持たせてやりました」
それを亭主の要作に覚《さと》られたのが夫婦喧嘩のもとであり、家出のもとであると、お霜は白状した。
「次郎兵衛はどうしてお葉と懇意になったのだ」と、半七はまた訊いた。
「船のなかで……」と、お霜は答えた。「御承知でもございましょうが、川越から江戸へ出ますには、新河岸川から夜船に乗ります。その船のなかで懇意になったのだそうでございます」
お磯の身売りについて、お葉は玉の下見《したみ》に行った。その帰りの船が次郎兵衛と一緒であったので、互いに心安くなった。乗合いは田舎道者《いなかどうじゃ》や旅商人《たびあきんど》、そのなかで年も若く、在郷者には不似合いのきりり[#「きりり」に傍点]とした次郎兵衛の男ぶりがお葉の眼に付いたらしく、船場で買った鮨や饅頭などを分けてくれて、しきりに馴れなれしく話しかけた。むかしの夜船はとかくにいろいろの※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] 話を生み易いものである。
その一夜をいかに過ごしたか、お霜もよくは知らないのであるが、晦日《みそか》に川越を立って三月の朔日《ついたち》に花川戸へ着いたお葉は、すぐに次郎兵衛と手を分かつことを好まなかった。自分の家は眼の先きにあると云って、ひと先ず彼を我が家に連れ込んで、中気で寝ている亭主の手前はなんと云いつくろったか、ともかくも二日のあいだは次郎兵衛を二階に引き留めて置いた。三日の午過ぎに、彼はようよう放たれて出たが、そのときにかの川越次郎兵衛の笠を置き忘れて来たのであった。
奉公先きに対する意見の相違で、彼は義兄《あに》の要作と衝突した。もう一つには、二、三日後には必ず尋ねて来てくれと、お葉から堅く念を押されているので、次郎兵衛はふらふらと飛び出して戸沢長屋へたずねて行くと、お葉はよろこんで迎えた。しかも自分の家に長く泊めて置くのは亭主の手前もあるので、お葉は近所のおきつという女|髪結《かみゆい》の二階に次郎兵衛を預けた。自分がいい仕事を見つけてやるから、武家奉公などは止
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