らねえので……」と、亀吉は首をかしげながら云った。「江戸の女衒《ぜげん》が玉を見に来て、二月の晦日にいったん帰って、三月の二十七日にまた出直して来て、金を渡して本人を連れて行ったそうですが、その勤めさきを駒八の家では秘し隠しにしているので、どうも確かに判りません。御用の声でおどかせば云わせる術《すべ》もありますが、なにかの邪魔になるといけねえと思って、今度は猫をかぶって帰って来ました。なに、近いところだから造作《ぞうさ》はねえ、用があったら又出掛けますよ」
「その女衒はなんという奴だ」
「戸沢長屋のお葉《よう》です」
「女か」
「亭主は化け地蔵の松五郎といって、女衒仲間でも幅を利かしていた奴ですが、二、三年前から中気《ちゅうき》で身動きが出来なくなりました。女房のお葉は品川の勤めあがりで、なかなかしっかりした奴、こいつが表向きは亭主の名前で、自分が商売をしているのですが、女の方が却って話がうまく運ぶと見えて、いい玉を掘り出して来るという噂です。年は三十五で、垢抜けのした女ですよ」
「番太郎へ次郎兵衛をたずねて来たのは、そのお葉だな」
「それに相違ありません。あしたすぐに行ってみましょう」
「むむ。今度はおれも一緒に行こう」
 あくる朝の四ツ(午前十時)頃、半七と亀吉は小雨《こさめ》の降るなかを浅草へむかった。戸沢長屋は花川戸から馬道の通りへ出る横町で、以前は戸沢家の抱え屋敷であったのを、享保年中にひらいて町屋《まちや》としたのである。そこへ来る途中、馬道《うまみち》の庄太に逢った。
「いい所で逢った。おめえは土地っ子だ。手をかしてくれ」と、半七は云った。
「なんです」と、庄太も摺り寄って来た。
 あらましの話を聞かされて、庄太は笑った。
「戸沢長屋のお葉……。あいつなら好く識っています。雨の降るのに大勢がつながって出かけることはねえ。わっしが行って調べて来ますよ」
「だが、折角踏み出して来たものだ。どんなところに巣を食っているか、見てやろう」
 三人は傘をならべて歩き出すと、やがてお葉の家の前に出た。小綺麗な仕舞家《しもたや》暮らしで、十五、六の小女がしきりに格子を拭いていた。この天気に格子を磨かせるようでは、お葉は綺麗好きの、口やかましい女であるらしく思われた。半七と亀吉を二、三軒手前に待たせて置いて、庄太はその小女に声をかけようとする処へ、お店《たな》の番頭らしい四十五、六の男が来かかった。彼は庄太を識っていると見えて、挨拶しながら近寄って何か小声で話していた。
「馬鹿に長げえなあ。雨のふる中にいつまで立たせて置くのだ。親分、どうしましょう」
「まあ、待ってやれ。なにか大事の用があるのだろう」
 やがて庄太は引っ返して来て、かの男は馬道の増村という大きな菓子屋の番頭宗助であるが、親分たちにちょっとお目にかかりたいから、御迷惑でもそこまでお出でを願いたいと云う。それには仔細があるらしいから、ともかくも来てくれまいかと云った。
 余計な道草を食うことになると思ったが、半七らもよんどころなしに付いてゆくと、宗助は三人を近所の小料理屋の二階へ案内した。庄太に紹介されて、宗助は丁寧に挨拶した上に、飛んだ御迷惑をかけて相済みませんと繰り返して云った。
「実はね、親分」と、庄太は取りなし顔に云い出した。「今この番頭さんから頼まれた事があるのですが、お前さん、まあ聴いてやってくれませんか」
 その尾について、宗助も云い出した。
「御迷惑でございましょうが、まあお聴きを願いたいのでございます。手前の主人のせがれ民次郎は当年二十二になりまして、若い者の事でございますから、少しは道楽もいたします。ところが、先月以来戸沢長屋のお葉という女が時々に店へ参りまして、若主人を呼び出して何か話して帰ります。それがどうも金の無心らしいので、手前もおかしく思って居りますと、おとといは見識らない男を連れて参りまして、相変らず若主人を表へ呼び出して、なにか強面《こわもて》に嚇かしていたようで、二人が帰ったあとで若主人は蒼い顔をして居りました。あまり不安心でございますから、手前は人のいない所へ若主人をそっと呼びまして、これは一体どういう事かといろいろに訊きましたが、若主人はその訳を打ち明けてくれませんで、唯ため息をついているばかりでございます。御承知でもございましょうが、お葉は松五郎という女衒の女房で、手前どものような堅気な町人に係り合いのあろう筈はございません。それが毎度たずねて来て、なにか無心がましいことを云うらしいのは、どうも手前どもの腑に落ちません。年上ではありますが、お葉もちょいと垢抜けのした女ですから、もしや若主人とどうかしているのではないかと思いまして、それもいろいろ詮議したのでございますが、決してそんな覚えはないと若主人は申します。そうなるといよい
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