……。これも隣りの女房はわたし達に隠しているので、詳しいことは判りません」
こうなると、どうしても隣りの女房を一応詮議するのが当然の順序である。
「じゃあ、番太の女房を呼んでくれ」と、半七は云った。
三
五平に連れられて、番太郎の女房が来た。お霜は二十七八で、眼鼻立ちも醜《みにく》くなく、見るからかいがいしそうな女であった。彼女は半七を御用聞きと知って、あがり口の板の間にかしこまった。
「いや、そんなに行儀好くするにゃあ及ばねえ」と、半七は頤《あご》で招いた。「まあ、ここへ掛けて、仲好く話そうじゃあねえか」
「親分に訊かれたことは、なんでも正直に云うのだぜ」と、五平もそばから注意した。
「次郎兵衛はおめえの弟で、川越から江戸へ奉公に出て来たのだね」と、半七は訊いた。「それが三月の三日に来て、五日からゆくえが知れなくなったと云うのは本当かえ」
「はい。五日の夕方にどこへかふらりと出て行きました、それぎり音も沙汰もございません」と、お霜は答えた。
五平の話したとおり、本人は屋敷奉公をしたいと云い、要作は町奉公をしろと云い、その衝突から飛び出したのであろうと、彼女は云った。しかし弟は年も若し、初めて江戸へ出て来たのであるから、むやみに家を飛び出しても、ほかに頼るさきはない筈である。さりとて故郷へ帰ったとも思われず、どうしているか案じられてならないと、彼女は苦労ありそうに云った。
番太郎へたずねて来た二人の女に就いて、彼女はこう説明した。
「三月二十八日のお午《ひる》過ぎでございました。浅草の者だと云って、粋な風体《ふうてい》の年増の人が見えまして、次郎兵衛に逢いたいと云うのでございます。まさかに家出をしましたとも云えませんので、まあいい加減に断わりますと、むこうではわたくしが隠しているとでも疑っているらしく、強情に何のかのと云って立ち去りませんので、わたくしもしまいは腹が立って来まして、つい大きい声を出すようにもなりました」
「女はとうとう素直に帰ったのだな」と、半七は訊《き》いた。
「はい。帰るには帰りましたが、帰りぎわに何だか怖いことを云って行きました」
「どんなことを云った」
「あの人にそう云ってくれ。あたしは決しておまえを唯では置かない。それが怖ければ浅草へたずねて来いと……」
「その女は江戸者だな」
「着物から口の利き方まで確かに下町《したまち》の人で、なにか水商売でもしている人じゃあないかと思います。初めて江戸へ出て来た弟がどうしてあんな人を識っているのかと、まったく不思議でなりません」
「おめえの弟は田舎者でもきりり[#「きりり」に傍点]としていると云うから、素早く江戸の女に魅《み》こまれたのかも知れねえ」と、半七は笑った。「女は浅草とばかりで、居どころを云わねえのだな」
「云いませんでした。次郎兵衛は知っているのでございましょう」
「それから、また別に若けえ女が来たと云うじゃあねえか。それはどうした」
「それは、あの……」と、お霜は云い淀んだように眼を伏せた。
「それはおめえも識っている女だな。おなじ村の者か」
お霜はやはり俯向いていた。
「なぜ黙っているのだ。その女は弟のあとを追っかけて来たのか」と、半七は畳みかけて訊いた。
「いえ、そういうわけでは……」と、お霜はあわてて打ち消した。
「それにしても、おめえも識っている女だろう。名はなんというのだ」
「お磯と申しまして、おなじ村の者ではございますが、家が離れて居りますのと、わたくしどもは久しい以前に村を出ましたのでよくは存じません。親の名を云われて、初めて気がついたくらいでございます。これも江戸へ奉公に出て来て、浅草の方にいるとばかりで、くわしいことを申しませんでした」
「これも浅草か」
「これもやはり弟に逢わせてくれと申しまして、なかなか素直に帰りませんのを、わたくしが叱って追い帰しました」
「おめえの弟はよっぽど色男らしいな」と、半七はまた笑った。「年増に魅こまれ、娘に追っかけられ、あんまり豊年過ぎるじゃあねえか。それだから天狗に攫われるのだ。そうして、女二人はそれっきり来ねえのか」
「まいりません」と、お霜ははっきり答えた。「それぎりで再び姿を見せません」
「お磯の親はなんというのだ」
「駒八と申します」
駒八は相当の農家であったが、いろいろの不幸つづきで今は衰微しているという噂であると、お霜は付け加えて云った。
「じゃあ、まあ、きょうはこの位にしよう」と、半七は云った。「おめえは今度のことに就いて、亭主と夫婦喧嘩でもしやあしねえか」
お霜は黙っていた。
「弟の肩を持って、亭主と喧嘩でもしやあしねえか。ふだんもそうだが、こういう時に夫婦喧嘩は猶さら禁物《きんもつ》だ。仲好くしねえじゃあいけねえぜ」
「はい」と、お霜は口のうちで答え
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