をしやあがるな」
「だが、その太鼓持か落語家は、相当に度胸がなけりゃあ出来ねえ芸だ。まじめじゃあ助からねえと思って、気ちがいの振りをしたのだろうが、川越の屋敷から町奉行所へ引き渡される途中で縄抜けをしている。これが又、誰にでも出来る芸じゃあねえから、なにかの素姓のある奴に相違ねえ。庄太に調べさせたら、大抵わかるだろう」
「お葉も係り合いがあるのでしょうね」
「川越次郎兵衛の笠がある以上、お葉もなにかの係り合いがありそうだ。ともかくもお葉はその一件を知っていて、増村の息子を嚇かしているのだろう。それが、表向きになりゃあ、唯じゃあ済まねえ。本人は勿論、親たちだって飛んだ巻き添えを食うのは知れたことだ。息子も今じゃあ後悔して、蒼くなっているに相違ねえ。そこへ附け込んで、お葉は口留め料をゆすっている。それも相手を見て、大きく吹っかけているのだろう。よくねえ奴だ」
「お葉と一緒に増村へ行ったという奴は何者でしょう」と、亀吉は訊いた。
「それは判らねえが、あの辺をごろ付いている奴か、女衒仲間の悪い奴だろう。亭主が中気で寝ていると云うから、お葉も男の一人ぐらいは拵えているかも知れねえ」
こういう時に、路ばたの露路から不意に飛び出した女がある。彼女は傘もささずに、跣足《はだし》で雨のなかを横切って行くのを、半七は眼早く見つけた。
「あ、いけねえ」
半七は傘をなげ捨てて、これも跣足になって駈け出した。今や大川へ飛び込もうとする女の帯は、うしろから半七の手につかまれた。亀吉もつづいて駈け寄ると、露路の中から男と女が駈け出して来た。
「おめえは番太の女房だな。まあ、おちついておれの顔をよく見ろ」と、半七は云った。
半気違いのようになっている女房も、半七と知って急におとなしくなった。あとから追って来たのは、お霜の亭主の要作と、この露路の奥に住んでいるお高という女であった。
雨のなかではどうにもならないので、人々はお霜を取り囲んで露路の奥へはいった。ここらには囲い者の隠れ家が多い。お高もその一人で、以前は外神田の番太郎の近所に住んでいて、お霜に洗濯物などを頼んだこともある。お霜は夫婦喧嘩の末に、あても無しに我が家を飛び出して、柳原のあたりをうろ付いていると、あたかもむかし馴染のお高に出逢った。
お高はもとより詳しい仔細を知らない。お霜も正直には云わないで、唯ひと通りの夫婦喧嘩のよう
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