しい。
「となりの喧嘩はわたし達も薄々知っていましたが、また始まったのかといい加減に聞き流していましたら、飛んだ事になってしまって、親分にも申し訳がありません」と、五平は恐縮していた。
 まさかに死ぬほどの事もあるまいと思うものの、気の狭い女は何を仕でかすか判らない。困ったものだと半七も眉をひそめた。

     四

 それから足掛け四日目の夕がたに、亀吉が帰って来た。
「親分。大抵のことは判りました」
「やあ、御苦労。まあ、ひと息ついて話してくれ」と、半七は云った。
「まず本人の次郎兵衛の方から片付けましょう」と、亀吉はすぐに話し出した。「次郎兵衛の家《うち》にはおふくろと兄貴がありまして、まあ、ひと通りの百姓家です。本人は江戸へ出て屋敷奉公をしたいと云うので、二月の晦日《みそか》に家を出て、午《ひる》の八ツ半(午後三時)の船に乗ったそうです。兄貴が河岸《かし》の船場まで送ったと云うから、間違いは無いでしょう」
「二月の晦日に船に乗ったら、明くる日の午頃には着く筈だ。ところが、次郎兵衛は三日に姉のところへ尋ねて来たと云う。そのあいだに二日の狂いがある。その二日のあいだに、どこで何をしていたかな。それからお磯の方はどうだ」
「お磯の家は相当の百姓だったそうですが、親父の駒八の代になってから、だんだんに左前《ひだりまえ》になって総領娘のお熊に婿を取ると、乳呑児《ちのみご》ひとりを残して、その婿が死ぬ。重ねがさねの不仕合わせで、とうとう妹娘のお磯を吉原へ売ることになったそうです」
「お磯は売られて来たのか」と、半七はすこし意外に感じた。「そこで、そのお磯は次郎兵衛と訳があったのか」
「そうじゃあねえと云う者もあり、そうらしいと云う者もあり、そこははっきりしねえのですが、なにしろ仲好く附き合っていて、次郎兵衛が江戸へ出るときは、お磯も河岸《かし》まで送って来て、何かじめじめしていたと云いますから、恐らく訳があったのでしょうね」
「川越辺では今度の一件を知っているのか」
「城下では知っている者もありましたが、在方《ざいかた》の者は知りません。どっちにしても、お城にこんな事があったそうだ位の噂で、川越の次郎兵衛ということは誰も知らないようです。本人の親や兄貴もまだ知らないと見えて、みんな平気でいました。近いようでも田舎ですね」
「お磯の勤め先は吉原のどこだ」
「それがよく判
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