う。こういう無規律であるために、歩兵の評判が悪いのである。根井もそれを知っていながら、自分一個の力ではどうにもならないらしかった。
それでも彼は半七の手前、今後はきっと取締まると繰り返して云った。
「これから鮎川らを即刻吟味する。おまえは暫く待ってくれ」
云い残して根井は怱々に出て行ったが、やがて又引っ返して来た。
「増田は練兵所に出ていたので、すぐに吟味する事にしたが、鮎川は昨夜から帰隊しないそうだ。あるいは覚って逃亡したのかも知れない」
「子分の亀吉に云いつけて、鮎川のあとを尾《つ》けさせてありますから、その居どころは判る筈でございます」と、半七は云った。
「あいつ、又ほかにも悪い事をして、市中取締りの手に召し捕られたりすると、歩兵隊の不面目だ。おまえに頼む。見つけ次第に取りおさえてくれ」
その当時の市中取締役は庄内藩の酒井左衛門|尉《のじょう》である。その巡邏隊と歩兵隊とは、とかくに折り合いが悪く、途中で往々に衝突を演ずることがある。市中取締りの立場からいえば、乱暴をはたらく歩兵隊を取締まるのは当然であるが、それが歩兵隊の癪にさわるので、両者は常に睨み合いの姿になっている。鮎川の召し捕りを半七に依頼したのも、彼を巡邏隊の手に渡すまいという根井の用心であるらしい。それを察して半七も請け合って帰った。
三河町の家へ帰ると、亀吉が待っていた。
「あれから鮎川のあとを追って行くと、竹屋の渡しを渡って今戸へ越して、それから花川戸の方角へぶらぶらやって来ると、むこうから米吉の野郎が来て、両方がばったりと出逢いました。こりゃあ面白くなったと思うと、往来のまん中で立ち話、これにゃあどうも困りました。真っ昼間の往来だから近寄ることが出来ねえ。ただ遠くから様子を窺っているだけのことでしたが、二人の様子が唯でねえ。なにか捫著《もんちゃく》でもしているらしい風に見えましたが、なにしろ人通りの多い所だから、二人もいつまで捫著してもいられねえので、まあいい加減に別れてしまったようです。鮎川はそれから天神下へ行って、例の藤屋へはいり込みました」
「その鮎川はゆうべから屯所へ帰らねえそうだ」
「野郎、泊まり込んでいやがるのか。それともお房を引っ張り出して、駈け落ちでもしやあがったかな」と、亀吉は半七の顔色をうかがった。「どうしましょう。すぐに藤屋へ行ってみますか」
「そうだ、駈け落ちなんぞをされると困る。構わねえから、見つけ次第に押さえてしまえ。小隊長から頼まれているのだ。早く行ってくれ」
亀吉を追い出してやると、入れちがいに弥助が来た。
「親分。藤屋のお房はゆうべから帰らねえそうです」
「鮎川と一緒か」
「そうです。明るいうちから鮎川は飲みに来ていて、日が暮れて屯所へ帰る。お房はそれを送りながら一緒に出て行って、それっきり帰らねえそうですよ」
「困ったな」
半七は歎息した。亀吉が根気よく藤屋に張り込んでいたならば、鮎川とお房の消息を探ることが出来たかも知れなかったのであるが、藤屋へはいるまでを見届けて、これから先は例の通りと、見切りをつけて引き揚げてしまったのが、今更おもえば不覚であった。その不覚のために、この事件の一半を不得要領に終らせることになった。
六
「なんでも油断をしちゃあいけません。亀吉がうっかり油断した為に、折角の探索をめちゃめちゃにしてしまって、当人も後々まで悔んでいましたよ」と、半七老人は云った。
「二人のゆくえはとうとう知れないんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「知れません。幸次郎をやって、鮎川の故郷の大宮在を探索させましたが、そこへも立ち廻った形跡がありません。勿論、江戸市中や近在には姿をみせず、そのうちに御一新の大騒ぎですから、そんな詮議をしてもいられません。明治になったのは二人の仕合わせで、どこにか天下晴れて暮らしているでしょう。世の中が変ると、思いも寄らない得《とく》をするものも出来ます」
「増田の方は捉《つか》まったんですな」
「これは前に申した通りで、髪切りは全く鮎川と自分の仕業に相違ないと白状しました。代地河岸のお園の家へ押込んだのも、二人の仕業でした。ところが、これも困ったことには吟味中に押込み所を破って逃げてしまいました。歩兵隊も重々不取締りで致し方がありません」
「一体、誰に頼まれたんですか」
「それが肝腎の問題ですが、増田は鮎川と米吉に誘い込まれて、最初に十五両、二度目に十両貰っただけで、その頼み手は知らないと強情を張っていました。何分にも一方の鮎川が見付からないので、詮議も思うように捗取《はかど》らない。そのうちに増田は逃亡してしまって、これもゆくえ不明ですから、詮議の手蔓も切れたわけで……。こんにちの言葉で申せば五里霧中です」
「しかし、まだほかに米吉がいる筈ですが……」
「
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