それじゃあ何処からか嗅《か》ぎつけて、伝蔵は遠州屋へたずねて来るかも知れねえ。善八と相談して、その近所を見張っていろ。だが、伝蔵を召し捕っても、すぐに番屋へ引き摺って行っちゃあいけねえ。おれに一応知らせてくれ」
「承知しました」
 こうして油断なく網を張っていたのであるが、禍いは意外のところに起こった。二月二十一日の夜の五ツ半(午後九時)頃に、遠州屋の主人才兵衛は浅草の聖天下《しょうでんした》で何者にか殺害された。短刀か匕首《あいくち》で脇腹を刺されたのである。所持の財布の紛失しているのを見ると、おそらく物取りの仕業であろうという噂であった。
 浅草の今戸《いまど》には、日本橋の古河という大きい鉄物屋《かなものや》の寮がある。才兵衛はそこへ茶道具類を見せに行って、その帰り途で災難に逢ったのである。聖天へ夜参りをしたのでもあるまいに、なぜ待乳山《まつちやま》の下まで踏み込んだのか、その仔細は判らなかったが、才兵衛に似たような人物が一人の男と何か云い争いながら通るのを見た者があると云うので、かれらは何かの話でここへ踏み込んだらしく、したがって普通の物取りではあるまいという噂も生まれた。
 
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