、わたくしのような旧弊人《きゅうへいじん》はやはり昔の例を追って、十三日には煤掃きをして家内じゅう、と云ったところで婆やと二人ぎりですが、めでたく蕎麦を祝うことにしています。いや、年寄りの話はとかく長くなっていけません。さあ、伸びないうちに喰べてください」
「では、お祝い申します」
わたしは蕎麦の御馳走になった。夏は井戸換え、冬は煤掃き、このくらい心持のいいことはないと、老人はひどく愉快そうであった。きょうは雪もよいの、なんだか忌《いや》に底びえのする日であったが、老人はさのみに恐れないような顔をしていた。やはり昔の人は強いと、私は思った。
そばを喰ってしまって、茶を飲んで、それから例のむかし話に移ったが、かの大高源吾の笹売りから縁を引いて、頃は元禄十五年極月の十四日、即ち江戸の煤掃きの翌晩に、大石の一党が本所松坂町の吉良の屋敷へ討ち入りの話になった。老人お得意の芝居がかりで、定めて忠臣蔵のお講釈でも出ることと、私はひそかに覚悟していると、きょうの話はすこし案外の方角へそれた。
「どなたも御承知の通り、義士の持ち物は泉岳寺の宝物になって残っています。そのほかにも大石をはじめ、他の人
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