才兵衛の検視に半七は立ち会わなかったが、その下手人は大抵想像された。その噂を聞いて、彼は善八と一緒に御成道の遠州屋へ乗り込むと、才兵衛の死骸はまだ引き渡されていないと見えて、店の番頭らは帰って来なかった。
家内の者を遠ざけて、半七は女中のお熊を店さきへ呼び出した。お熊は明けて二十歳《はたち》で、色の白い大柄の女であった。
「おまえはお熊か。なんでも正直に云え。この頃に伝蔵は来なかったか」と、半七はだしぬけに訊いた。
「参りました」と、お熊は素直にはきはきと答えた。「おとといの晩、町内のお湯屋へ参りますと、その帰りに伝蔵に逢いました」
「伝蔵はなんと云った」
「おれと一緒に逃げろと云いました」
「どこへ逃げるのだ」
「それは申しません。これから一緒に逃げるから、自分の金や着物を持ち出して来いと云っただけでございます」
「おまえは何という返事をした」
「いやだと断わりました。お前のような恐ろしい人と一緒には行かれないと申しました」
「それで伝蔵は承知したか」
「その恐ろしい事をしたのもお前の為だ。どうしても肯かなければ、主人もお前も唯は置かないぞと、怖い顔をして嚇かしました」
「なぜ主人を恨むのだ」
お熊は少しく返答に躊躇した。
「お前の主人は伝蔵に恨まれるような筋があるのか」と、半七はすかさず訊いた。
「あの人は思い違いをしているのでございます」と、お熊は低い声で答えた。
「思い違いじゃああるめえ」と、半七は笑った。「恨まれるだけの因縁があるのだろう。さもなければ、主殺しの兇状持ちに係り合いのあった女を、そのまま奉公させて置く筈があるめえ」
「昔のことは構わないから、ここの家《うち》に勤めていろと主人が申しました」
「そう云うには訳があるだろう。おれはみんな知っている。ここの主人は去年の暮れ、なんで堀江まで出かけたのだ」
よく知っていると云うように、お熊は半七の顔をみあげた。しかも彼女は案外に平気であった。
「旦那は商売のことで……」
「商売の事とは何だ」
「雁《がん》の羽《はね》を取りに……」
「雁の羽……」
半七は訊き返した。勝手ちがいの返事をされて、彼もやや戸惑いの形であった。雁の羽がなんの役に立つのか、彼もさすがに知らなかった。
「はい。お茶の湯に使います」と、お熊は説明した。
世間のことはなんでも心得ているように思ったが、残念ながら半七は茶事に暗かった。彼は我《が》を折って又訊いた。
「雁の羽をどうするのだ」
「三つ羽箒《ばぼうき》にいたします」
堀江に育って、今は茶道具商売の店に奉公しているだけに、お熊は雁の羽について説明をして聞かせた。堀江の洲《す》にはたくさんの雁が降りる、そのなかに白い雁のむらがっているのは珍らしくないが、稀には斑《ふ》入りの雁がまじっている。茶事に用いる三つ羽箒には野雁《やがん》の尾羽を好しとするが、その中でも黒に白斑のあるのを第一とし、白に黒斑のあるのを第二とし、数寄者《すきしゃ》は非常に珍重するので、その価も高い。ひと口に羽と云っても、翼の羽ではいけない、必ず尾羽でなければならないと云うのであるから、それを拾うのは容易でない。お熊の兄の宇兵衛は堀江の浜で偶然に拾って、白斑と黒斑の尾羽をたくわえていた。
なにかの時に、お熊がその話をすると、主人の才兵衛は眼を丸くして喜んだ。いずれそのうちに堀江をたずねて、お前の兄からその尾羽を譲って貰うと云っていたが、その年の暮れ、才兵衛は来年が四十一の前厄《まえやく》に当たると云うので成田の不動へ参詣に行って、その帰り道に堀江の宇兵衛をたずね、お熊の主人という縁をたどって、首尾よく雁の羽を手に入れて来たのである。そればかりでなく、今後も注意してその尾羽を拾い集めてくれと、才兵衛はくれぐれも頼んで帰った。
才兵衛が堀江をうろ付いていた仔細は、これで判った。兇状持ちに係り合いのある女を、彼がそのままに雇っていたのは、色恋の為ではなくて慾の為であった。商売に抜け目のない彼は、お熊の縁をつないで置いて、その兄から高価の尾羽を仕入れようと目論《もくろ》んでいたのであった。彼が半七らと道連れになるのを避けたのも、商売上の秘密を知られたくない為であったらしい。しかし半七らばかりでなく、伝蔵もまた同様の感違いをして、お熊と才兵衛とのあいだには主従以上の関係があるように疑ったのである。
「お前は伝蔵にその云い訳をしたのか」と、半七は訊いた。
「なにしろ宵の口で、人通りの多い往来ですから、詳しい話は出来ません。わたくしは飽くまでも忌だと云って、振り切って逃げて来ました」
「伝蔵は追っかけて来なかったか」
「今も申す通り、往来の絶え間がないので、それっきり付いても来ませんでした」
「そのことを主人に話したか」
「きまりが悪いので黙っていました」
感違いをしてい
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