》になりますが、まあ掻いつまんで申し上げれば、その日は七月十二日、朝の五ツ時(午前八時)に笹川の鶴吉は直七附き添いで高輪へ出て来る。鶴吉は吉良の脇指を風呂敷につつんでいました。かねて打ち合わせがしてありますから、二人は海辺の茶屋に休んで待っている。わたくしは善八と松吉を連れて、清吉の小屋へ出て行きますと、これも打ち合わせがありますから、小屋からは伝蔵を叩き出す。そうして表へ出たところを、わたくし共が寄って取り押さえまして、しかしすぐには縄をかけないで、善八と松吉が伝蔵の両腕を取って、鶴吉の待っている茶屋の前まで引き摺って行きました。わたくしもあとから付いて行って、さあ、伝蔵、覚悟しろ。笹川の鶴吉さんが主人と姉のかたき討ちをするのだと云うと、善八と松吉は捉えていた両手を放してやりました。
こうなったら仕方がない。尋常に覚悟をきめて立派に討たれてやればいいのに、伝蔵は両手をゆるめられたのを幸いに、忽ち摺り抜けて逃げ出そうとする。そこへ鶴吉が飛びかかって、例の脇指で背中から突き透しました。芝居ならば、わたくしが座頭役《ざがしらやく》で、白扇でも開いて見事見事と褒め立てようと云うところです。わたくしもまあ、これで重荷をおろしたような気になりました。
かたき討ちを首尾よく済ませた上で、鶴吉は直七附き添いで番屋へ訴え出ました。わたくし共が付いて行くと事面倒ですから、あくまでも鶴吉ひとりの仇討ということにして、わたくし共は茶屋にひと休みして引き揚げました。前にも申す通り、このかたき討ちには少し無理がありますから、あとの始末がどうなるかと案じていましたが、なにしろ伝蔵の罪科明白なので、上《かみ》にも相当の手心があったのでしょう。案外無事に済みました」
「その脇指はどうなりました」
「なんでも笹川の家から福田の屋敷の菩提所、光隆寺へ納めたとか聞きましたが、それからどうなったか知りません。考えてみると、かたき討ちの場所は高輪で、例の泉岳寺の近所、脇指は吉良の物、どこまでも縁を引いているのも不思議で、訳を知らない人が聞いたら、こしらえ話のように思うかも知れません」と、老人は笑っていた。
わたしが暇乞いをして帰る頃には、細かい雪がちらちら降り出した。
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
※底本は、物を
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