ども泊まって、ゆっくり江戸見物をして帰りましたが、ここに一つの面倒がおこった。と云うのは、茂兵衛の女房のお稲と金右衛門とは従妹《いとこ》同士で、子供のときから仲がいい。今度も金右衛門が逗留している間、お稲が親切に世話をしてやった。それが亭主の茂兵衛の眼には怪しく見えたと云うわけで、金右衛門が帰国した後に夫婦喧嘩がおこりました。
従妹同士の金右衛門とお稲とのあいだに、本当に不義密通の事実があったのか、但しは茂兵衛ひとりの邪推か、そこははっきり判り兼ねますが、その以来、夫婦仲がとかくにまるく納まらないで、何かにつけて茂兵衛は女房につらく当たったそうです。そのためか、お稲はだんだんに体が弱くなって、おととしの暮れに三十三で死にました。死ぬ三日ほど前にも激しい夫婦喧嘩をしたと云いますから、お稲の死因も少し怪しいと思われないこともありません。
江戸と佐倉と距《はな》れていますから、そんな捫著《もんちゃく》のおこったことを金右衛門はちっとも知らないで、今度の芝居見物に出て来たついでに、八年振りで下総屋へ尋ねて来ました。その金右衛門の顔をみると、茂兵衛はむかしの恨みがむらむらと湧き出して……。昔はこういうのを女仇討《めがたきうち》と云いましたが、何分にも無証拠ですから、表立ってかれこれ云うことは出来ません。しかし相手の顔をみると、茂兵衛は口惜しくって堪まらない。こういう奴に限って、嫉妬心も深い、復讐心も強い。無理に金右衛門らを一泊させて、なにかひと趣向しようと思ったのですが、どうしても馬喰町の宿へ帰ると云うので、急に思い付いたのが前の一件です。
金右衛門ら四人を小僧に送らせて、自分は近道を先廻りして、藪のなかに待っていて、金右衛門に斬り付ける。若い者の銀八はおさんを引っ担いで逃げる。銀八は重い米をかついで毎日得意先へ配っているのですから、十六の小娘を引っ担いで逃げるのは骨は折れません。勿論、手拭をおさんの口へ捻じ込んで、例の化け物屋敷へ連れ込んで、茶の間の押入れへ投げ込んでしまいました。
これで万事思い通りに運んだのですが、茂兵衛の刄物は脇指で、おまけに腕が利かない。一方の野口武助はともかくも侍ですから、かたきの森山郡兵衛を首尾よく仕留めましたが、こっちは町人の悲しさにどうもうまく行かないで、斬るには斬ったが案外の浅手でした。まあ、こう云ったわけで、茂兵衛としては女仇討の積りだったのですよ」
これで金右衛門一件の輪郭は判った。
六
理窟の善悪はしばらく置いて、武助もかたき討ちであると云い、茂兵衛もかたき討ちであると云う。この二様のかたき討ちが同じ日の昼と夜とに起こったと云うだけで、双方のあいだに何の連絡も無いのであろうか。私はそれを訊きただすと、半七老人はにやにや笑った。
「あなたには判りませんかな。権田原で取り押さえたのが野口武助だと云ったじゃあありませんか。武助だって酔狂に抜き身を振り廻したのじゃあない。下総屋の茂兵衛と糸を引いているのですよ」
「そうすると、この二人は前から懇意なんですね」
「茂兵衛も女房に死に別れて、当時は独り身ですから、新宿なぞへ遊びに行く。しかし多くは昼遊びで、決して家を明けたことが無いので、誰も気がつかなかったそうです。その遊び先で武助と知り合いになって、悪い奴同士が仲好くなってしまったのです。茂兵衛の方が役者は一枚上なので総大将格、内では若い者の銀八、外では浪人の武助、この二人を両手のように働かせて、いろいろの悪事を重ねていたので、その兇状がだんだん明白になるに付けて、近所の者はいよいよ驚いたそうです」
「為吉の妹をかどわかしたのは誰です」
「お種をかどわかしたのも、やっぱり銀八です」と、老人は説明した。「わたくしは米搗きの藤助に眼を着けていたんですが、これは案外の善人で、銀八の方が案外の曲者でした。銀八は、茂兵衛の指図を受けて、化け物屋敷の空家に監禁してあるおさんの処へ、食い物をそっと運んでいたのですが、こんな奴が唯それだけで帰る筈がありません。定めて好き勝手な真似をして、年の行かない娘をいじめたのでしょう。おさんがどうぞ家《うち》へ帰してくれと泣いて頼むと、それじゃあ明日《あした》の夕がたに連れて行ってやると約束して帰りました。
そこで、あしたの午後、お種が近所の湯屋へ出て行ったのを見とどけて、化け物屋敷へおさんを迎えに行きました。おさんは喜んで出て来ると、途中で往来のないのを窺って、銀八は不意に匕首《あいくち》をおさんに突き付けて、これからお種に逢っても、おれの許すまで決して口を利いてはならないと嚇かして連れて行きました。そうして、湯屋の近所に待っていて、お種の出て来るのをそっと呼びました。
おさんの姿をみて、お種はおどろいて駈け寄ると、銀八がここでは話が出来ないから、ちょ
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