申す通り、眼玉をくり抜いたり、腹を裂いたり、さんざんに斬り刻んで川へ投げ込んだ。犬はお角になついていたが、お角はよっぽど犬を憎んでいたのでしょう。大きい犬の死骸を運ぶのは女の手一つではむずかしい。表に国蔵か甚八が待っていたのだろうと思いますが、二人は知らないと云います。お角も自分ひとりでやったと云っていました。
さてその翌日は写真屋殺し……。これはもう大抵お判りになっている事と思います。生麦の立場茶屋には国蔵と甚八が待っていて、島田を別の駕籠に乗せて江戸へ送り込みました。島田はモルヒネを飲まされて死んだのです。こんな手数をかけてわざわざ江戸まで運んで来たのは、迂濶《うかつ》なところへ死骸を捨てられないのと、ハリソン夫婦を殺した下手人を島田に塗りつけようとする企らみであったのですが、もう一つには、島田の額に犬という字を書いて、犬のようにして埋めてやりたいと思ったからだと云います。アグネスと島田はともあれ、ハリソンまでも殺したのはちっと判りかねますが、一つ部屋に寝ているハリソンを先に殺してしまわなければ、思うようにアグネスを殺すことが出来ないからだと、お角は云っていました。そうなると飛んだ巻き添えですが、こんな女に係り合ったのが災難と諦めるのほかはありますまい。
この以上のことはお角もあらわに申し立てません。役人たちも深く立ち入って詮議をしませんでした。吾八も薄々はその秘密を知っていたらしいのですが、これも知らないと云って押し通してしまいました。わたくしにもお話は出来ません」
「それで、お角はどうなりました」
「もちろん命が二つあっても足りない位ですが、女牢に入れられて吟味中、流行の麻疹《はしか》に取りつかれて三日ばかりで死にました。お角にとっては、麻疹の流行が勿怪《もっけ》の幸いであったかも知れません。例の彫り物の写真はヘンリーの方でも要らないというので、町奉行所にそのまま保管されていましたが、江戸が東京とあらたまって、町奉行所の書類いっさいが東京府庁へ引き渡された時に、写真なぞはどう処分されましたか、恐らく焼き捨てられてしまったでしょう。
コックの富太郎と雇い女のお歌が、主人夫婦の変死について少しも知らないのは可怪《おか》しいと云う者もありましたが、まったく知らないと判って釈《ゆる》されました。二人は夫婦になって、後に西洋料理屋をはじめました。吾八は後に宇都宮
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